い住宅区域の、郊外に近いところまで来た、と見ると新築間もない小締《こじんま》りした家の格子を、腹掛をした帳場の親方らしいのが雑巾がけをして、中では未だ片附かぬらしい物音が聞える、新しい標札をチラと見た春日は帽子を取て、
「御免下さい」
 と案内を乞うた。玄関の障子を静に開けて丸髷の初々した二十二三の美人が、淑《しとや》かにお辞儀をした。
「中岡《なかおか》さんがお在宅《いで》なら一寸御面会願いたいですね」
 名刺を差出すとどうぞ暫くと、云い残して二階へ登《あが》って行くと入違いに快活な三十歳位の男が降りて来て磊落《らいらく》な語調《ちょうし》で
「サア上って下さい、移転《ひっこし》早々で取乱して居ますが、どうぞ二階へ」
「じゃ失敬します」
 渡邊の耳元へ低声《こごえ》で※[#「口+耳」、第3水準1−14−94]《ささや》いておいて、自分独りで二階へあがっていった、軈て低い春日の声に混って、主人《あるじ》の太い声が断片的《きれぎれ》に洩れて聞えてくる。
「……、そう責められると今更弁解がありませんな。アハ……、あれ計りのものを亡くしたからって決して悔てはいませんよ、吾々の幸福なことはまだ
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