ま》りな仕打ですぞ」
 春日は呆れたように相手の顔を見上げ、
「□□へ行く必要があるんですか?」
「必要があるか? 娘は今現在□□で悪い奴の、手で苦しめられて逃げることも出来ずに、泣いて居るのですぜ、もう貴方には頼まん、初めから警察へ持てゆかなんだが俺《わし》の手落じゃ、警察へ頼みます、帰って下さい」
「そうです、そうすれば貴方の名誉と信用と、それから御希望を砕いてしまうのに一番早道ですね、まあそう怒るものじゃありません。大体御依頼がなくとも此事件は調査しなければならないのです、居所だけでも報告して上げましょう」
「余計なお世話だ、どうせ碌《ろく》なことが判るものか、何一つ頼みませんぞ、若僧に何が出来るかッ」
「そうですか、では御随意に、角《つの》を撓《た》めようとして牛を殺さないように」
「ナニ何ですと」
「イヤお邪魔でしたね渡邊君帰ろう、左様なら」
 善兵衛は激怒のあまり、証拠の書類を取戻すことさえ忘れていた。

        下 最後の訪問

 新田家を辞した春日は、電車通りまでゆくと渡邊には役場へ戸籍と名寄帳《なよせちょう》を写しに行くよう命じておいて、自分は市内でも一流の文房具や帳簿等を売る店を訪ねて、余り急ぎもせずに事務所へ帰った、暫くすると自転車から降りたらしい若者が慌しく這入てきて、自分は新田の店員だが主人の命で、証拠の書類を返して貰いにきた、と告げたから春日は笑いながら返してやると、そそくさと走り去った。
 兎角《とかく》する内に渡邊が帰って、筆写書類を見せた、戸籍を見るとゆき子の母は家附の娘で前夫も入夫《ようし》であったが、十八年前死亡し、それから一年ほどしてから、今の善兵衛が入家した後、長男の善太郎が生れたので、母はゆき子が十七歳、善太郎が十一歳の年に病死した、ゆき子は数え年二十二歳としてあった。
 ゆき子名義の宅地五筆合計千七百五十坪はそれぞれ設定がしてあった。
「成程八十五円平均か、まあそんなものだろう」
と判らないことを呟いたが、気をかえて簡単に食事をすませると、渡邊を伴《つ》れて麗《うらら》かな秋の街を散歩でもするような足どりで歩き出した、二人は漸次《だんだん》郊外の方へ近よると、其所《そこ》には黒ずんだ○△寺の山門が見えた、春日は石畳の道を切れて爪先登りの墓地へ入り込んだ、累々たる墓碑の中から目的のを見出すにも、さほど暇はかからなかった。
 境内を出てから四五町行くと、フト右手に新しい世帯道具を商う店があった、去り気なく近寄って所狭き迄列べられた種々な道具に眼をつけて、小首を捻《ひね》って居たが、格別気に入た品もないらしく手に取ても見ない、店では主人が品物を置換に忙がしそうである、春日は店頭《みせさき》を離れてふと顔を上げて標札をふりかえって眺め乍《なが》ら歩むうち、足元の荷車に衝当《つきあた》りかけて、ヒョイと飛退いて不審そうに、その荷車を打守った、渡邊は今朝から少からず悩まされた、馴れてはいるが今日の春日は大分変である、何の目的で歩いて居るのやら、機に臨んで要領を得ないような挙動《ようす》をやられるので始終ハラハラした心持で随《つい》てゆくのであった。
 又四五町行った頃四辻へ出たが、今まで黙々と考え乍ら歩んでいた春日は急に晴やかな顔をすると、懐中《ポケット》を探って煙草に火を点けて、勢いよく角家《かど》の「貸家|老舗《しにせ》案内社」と染抜いた暖簾《のれん》を潜った、そして特別料金を払って、仔細に一枚々々綴込帳を調べた上二十分も経ってから、
「お女将《かみ》、こちらの赤線《あかすじ》で消した分は、いつ頃約束済になったのです」
「エー……それは一週間程になりますねえ」
「ではこちらの方は?」
「それは一昨日お手打が済みました」
 春日は自ら手帳を出しこれを写して、そこを出ると懐中《ポケット》から時計を覗かせて、ちょっと眺めると、突如《いきなり》どしどし急速に歩き出したので、渡邊は呆れて眼を円くしながら、後れじと跡を逐《お》わねばならなかった、十分間もこんな状態が続くと、春日は△△中学校と門標のある中へサッサと這入り、名刺を出して校長に面会を求め、少時《しばらく》何か話していたが軈《やが》て生徒名簿を借受けて、拡げ出した、或一頁を読耽《よみふけ》っているから、渡邊が速記簿を出そうとすると、春日は黙って、首を振って静かに名簿を閉じると同時に、放課の鈴《りん》を小使が振った。
 門を出ると春日は渡邊を顧みて、
「サアもう一軒訪問したら今日はおしまいだぜ」
 渡邊は苦笑しながら、
「今朝の事件に関係があるんですか」
「まアそうだね」
「随分複雑してるじゃありませんか」
「なアに平凡さ、新田の爺さんは可愛想に運を掴み損なって居るんだね」
 道は稍《やや》通行人が少くなって、店舗《みせや》は稀にしかな
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