鏡台と、机の抽出を探した外《ほか》に未だ誰も這入ません」
 椽側から廊下伝いに、離座敷の階下ゆき子の部屋へ導かれた、整然《きっちり》片附られた座敷の正面床の脇に、淋しく立掛られてある琴が、在らぬ主の俤《おもかげ》を哀れに偲《しの》ばせた、春日は中央《まんなか》でじっと四辺《あたり》を見廻して後、箪笥《たんす》の抽出を下の方から順に抜て錠を一つ一つ入念に調べた、それを差し終って、地袋を開くと中に新刊らしい書籍が薄暗の中から金文字を輝かしている。横には、菓子器と歌留多《かるた》の箱があったので叮嚀に何れも蓋を取て中を検《しら》べ、軈《やが》てもとのようにすると、押入を開けて本箱の中から数冊の書籍や前年度の日記を撰り出して精密に調べ始めた、其間《そのあいだ》に渡邊は、此家の見取図を書くべく命ぜられて鉛筆を忙しく走らせる。
 善兵衛は不平らしく手持|無沙汰《ぶさた》に控えた、娘の一身安危の場合に杖とも頼む春日が、機敏に□□市へ急行して呉《く》れると思いの外、愚にもつかぬ方を調べているのに業を煮し、早やその手腕をさえ疑い、眼に軽侮の色を浮べて、せわしく咳払《せきばらい》をしはじめた、春日はそんなことに頓着せず押入の隅から、火気のない火鉢を障子の際まで持出し、頻りに灰を掻廻し何やら紙を出して包んだ、そして更に机や手文庫を逐一調べて腑に落ちないか、チェッと舌撃《したうち》をしたが、突如《いきなり》しゃがむと机の下から座蒲団と共に、皺になった新しい手巾《ハンカチーフ》を引摺出した、飽かず眺めてちょっと鼻に嗅《か》いで満足らしい笑《えみ》を漏した。善兵衛は莫迦莫迦《ばかばか》しいと云ったふうに、顔を外向《そむけ》てしまった、こんどは渡邊の描いた見取図を受取て、
「フーム、Fの字見たいな建方だな、この離れが一番上の横線に該当するね、中庭を隔てて御主人の居間と向合うて二階が弟さんの御部屋か……」こう呟いて沓脱《くつぬぎ》の駒下駄を履くと、グルッと庭を廻って座敷の裏手へ出た、そこは納屋と空地があり、忍返しのついた黒板塀で囲われてある、足許に注意しながら春日は塀の隙間《すきま》から覗いた、外は小路を隔てて向側は他家《よそ》の塀で、通行は稀らしい。
 眼を離すとき左手の丸木柱と塀との間に、六寸程の竹片《たけぎれ》が挟んであるのを見附て、指を差込だが春日の指に比べて隙間が少し狭かった、漸く取出してみると、尖端《さき》に泥が乾《かわ》き着いていた、足許に気がつくと柱の根元三寸程の所塀に密接して、新しく土を埋めたらしく柔らかくなっている竹片を紙にくるんで懐中《ポケット》へ入れると台所の方へ歩いていった。
 襷《たすき》がけ忙《せわ》しく働いていた下女は二人とも、春日の姿を見ると叮嚀にお辞儀をした、その一人の方へ近づくと優しく、
「貴方でしたか昨夜《ゆうべ》お嬢様のお伴をなすったのは……飛んだ御心配ですね、お忙しいのに気の毒ですが少しお尋ねします、昨夜最初ここへ帰ったときは何時でしたか」
「十時三十五分には少し前でした」
「裏の納屋の方は誰れがいつもお掃除をせられますか」
「毎朝お嬢様が運動だと仰有ってお掃きなさいますので、妾《わたし》達はあそこの掃除をしたことはございません」
「お嬢様のお召物を買うのはいつも主に何処です、それから当家の墓地は何処ですか」
「横町の大村屋《おおむらや》で御座います、お墓は○△寺です」
「よく気のつく愉快な方であったと思いますが、前は気難しい沈だ方ではなかったですか」
「よく御存じですこと、この春までは仰言るとおり陰気なお方で、お変りになったのには妾も不思議に思っているので御座いますよ」
「よく判りました、有がとう御邪魔しましたね」
 会釈《えしゃく》して春日は旧《もと》の客間へ還った、善兵衛は苦り切って居た。併しまだ少し既往について直聴して置く必要があった。
「この度の結婚の話の外に以前に何処からか、申込がありましたか」
「エエありましたとも沢山ありました、この前のは東京に開業して居る年|老《とっ》た医者が、四月頃来て田舎の甥に嫁が欲しい、少々の財産もあって両親《ふたおや》には早く別れて兄弟二人きりだとかで、本人は文学士だと云ってましたがこれは余り話にも、気乗がしなかったので謝絶《ことわり》しました」
 春日は更に一年間の、家庭用領収簿の閲覧を要求した、善兵衛は忌々し気に立上り帳簿を取って来て見せたが、春日の悠々として迫らず一頁毎に眼を通してゆく態度に、堪え忍んだ肝癪《かんしゃく》を破裂させた、顔を蒼くして唸《うめ》くようにいった。
「止めてもらいましょうッ、娘が疵物になるかならぬか危急の際ですぞ、貴方は他人じゃから痛痒を感ぜぬか知らぬが、頼まれた上は何故□□へ行って下さらん、愚図々々詰らんことを調べて何になりますかっ、余《あん
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