つたいに彼女の部屋の方へ近寄っていったのです。
 せめて余所《よそ》ながら蕗子の顔を一目見てから、慾を云えば何とか一言口を利いてから出立したくなりました。折角《せっかく》心持が緊張しているうちにやり遂げたかった計画も、こうした状態《ありさま》でずるずると一角から崩れはじめました。
 どうしてそんな気になったのでしょう。不図顔をあげて、灯のさす窓を仰いだ私は、障子へすゥと流れるように映った男の影法師を見て、思わず眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》ったのでした。
 おう、蕗子の部屋には中谷《なかたに》が来ているのだ、そうだ、この土地へ来てからたった一人の友人で、まるで兄弟のように親しみ合っていたのが、蕗子というものを中心とするようになってから互いが妙に白け合ってしまい、とうとう蕗子から私と云うものをまったく駆除してしまったあの中谷、今日私を他郷《よそ》へ流転の旅に送出《おくりだ》そうとした中谷が来ているのだ。
 私は少時《しばらく》そこに立縮《たちすく》んでいました。
 ところが或事に気付いた私は悸然《ぎょっ》としました、外《ほか》でもありません。中谷なら髪を長く伸して
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