聞かされたものです。口振りから察しても蕗子は決してその男を愛していないらしかったのです……)とね。
 妙な意地ずくからこんな出鱈目《でたらめ》を申立て、愛する蕗子の死後を涜《けが》して実に彼女に対して申しわけのないことですが、聞いている中谷は見る見る真蒼な顔をして、額に脂汗《あぶらあせ》をにじませ、今にも倒れそうな状態《ありさま》でした。
 それを見て私は心の中に非常な満足を覚えましたものの、由《よし》ないことを云ってしまったと後悔しないわけにゆきませんでした。何故ならばそれがため余計に私の弁解が益立《やくだ》たなくなってしまいました。中谷も一旦は調べられましたが素《もと》より狡智《こうち》に長《た》けた彼は巧く云遁《いいのが》れたようです。
 種々《いろいろ》審理の末、私はとうとう十二年の宣告を受けてしまいました。
 蕗子の死んだことが私の生活にとって致命的な大打撃でした。唯一の憧れであった蕗子が死んでみれば放浪に出ることなんか意義のないことで、免訴になったところで何の生《い》き効《がい》があるでしょう。中谷へ皮肉な復讐から蕗子と特別な交りのあったことを、一般に信じさせてしまった上は、私自らもそれを慰めとして十二年の刑に服した方が、彼女への謝罪の道だと考えた末、控訴もしないで刑につきました。
 十年の刑務所生活、その間に世の中は変りましたね。まだ残っている刑期を恩典にあって放免されたのがこの秋でした。
 娑婆《しゃば》に出てみると蕗子の妹艶子は、誰に聞いてもその行衛《ゆくえ》が判りません。中谷の消息も捜りましたが知れないのです。
 狭いようでも広い世間で、逢いたいと思う人々は仲々|廻合《めぐりあ》わないものですね……。
 いや、もうこんな話は止しましょう。こんな下らない身の上|噺《ばなし》じゃ小説にもなりますまい、ほんとうに御退屈でしたろう……」

 放浪者は淋しく笑って卓の上に残った茶碗を取上げたが、すぐ冷たそうに唇から放してしまった。自分自身の話に亢奮《こうふん》したらしく眼は輝いて頬に血の気が上り、先刻のような寒そうな悒鬱《ゆううつ》なようすは、どこにも残っていなかった。
 氷雨のためにびしょ濡れだった衣服も靴も、燃盛《もえさか》るストーブの活気でもうことごとく皆乾いていた。
「まるで垂水洋鵝《たるみようが》さんの小説のようですね」
 小村《こむら》のこの詞
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