て讃称《さんしょう》し、天下の人の熟知《じゅくち》するところ、予が喋々《ちょうちょう》を要せず。予は唯《ただ》一箇人《いっこじん》として四十余年、先生との交際《こうさい》及び先生より受けたる親愛《しんあい》恩情《おんじょう》の一斑《いっぱん》を記《しる》し、いささか老後《ろうご》の思《おもい》を慰《なぐさ》め、またこれを子孫に示《しめ》さんとするのみ。
 予の初めて先生を知《し》りしは安政《あんせい》六年、月日は忘《わす》れたり。先生が大阪より江戸に出で、鉄炮洲《てっぽうず》の中津藩邸《なかつはんてい》に住《すま》われし始めの事にして、先生は廿五歳、予は廿九歳の時なり。先生|咸臨丸《かんりんまる》米行《べいこう》の挙《きょ》ありと聞て、予が親戚《しんせき》医官《いかん》桂川氏《かつらがわし》を介《かい》してその随行《ずいこう》たらんことを求められしに、予はこれ幸《さいわい》の事なりと思い、直《ただ》ちにこれを肯《がえ》んじ、一|見《けん》旧《きゅう》のごとし。
 翌年正月十九日の夕、共《とも》に咸臨丸《かんりんまる》に乗組《のりくみ》て浦賀湾《うらがわん》を出帆《しゅっぱん》したり。先
前へ 次へ
全21ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木村 芥舟 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング