》せり。実に先生|発病《はつびょう》の当日なり。本文と関係《かんけい》あるを以て茲《ここ》に附記《ふき》す。
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[#地から2字上げ]石河幹明|記《しるす》

     瘠我慢の説に対する評論について

[#地から2字上げ]碩果生《せきかせい》
 去る十三日の国民新聞《こくみんしんぶん》に「瘠我慢の説を読む」と題《だい》する一篇の評論《ひょうろん》を掲《かか》げたり。これを一読するに惜《おし》むべし論者は幕末《ばくまつ》外交の真相《しんそう》を詳《つまびらか》にせざるがために、折角《せつかく》の評論も全く事実に適《てき》せずして徒《いたずら》に一篇の空文字《くうもんじ》を成《な》したるに過ぎず。
「勝伯《かつはく》が徳川方の大将となり官軍を迎《むか》え戦いたりとせよ、その結果《けっか》はいかなるべきぞ。人を殺《ころ》し財《ざい》を散《さん》ずるがごときは眼前の禍《わざわい》に過《す》ぎず。もしそれ真《しん》の禍は外国の干渉《かんしょう》にあり。これ勝伯の当時においてもっとも憂慮《ゆうりょ》したる点にして、吾人はこれを当時の記録《きろく》に徴《ちょう》して実《じつ》
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