定めたりなど云々《うんぬん》するも、果《はた》して当人《とうにん》の心事《しんじ》を穿《うが》ち得たるや否《いな》や。
もしも勝氏が当時において、真実《しんじつ》外国干渉の患《うれい》あるを恐れてかかる処置《しょち》に及びたりとすれば、独《ひと》り自《みず》から架空《かくう》の想像《そうぞう》を逞《たくまし》うしてこれがために無益《むえき》の挙動《きょどう》を演じたるものというの外なけれども、勝氏は決してかかる迂濶《うかつ》の人物にあらず。思うに当時|人心《じんしん》激昂《げきこう》の際、敵軍を城下に引受《ひきう》けながら一戦にも及ばず、徳川三百年の政府を穏《おだやか》に解散《かいさん》せんとするは武士道の変則《へんそく》古今の珍事《ちんじ》にして、これを断行《だんこう》するには非常の勇気《ゆうき》を要すると共に、人心《じんしん》を籠絡《ろうらく》してその激昂《げきこう》を鎮撫《ちんぶ》するに足《た》るの口実《こうじつ》なかるべからず。これすなわち勝氏が特に外交の危機《きき》云々《うんぬん》を絶叫《ぜっきょう》して、その声を大にし以て人の視聴《しちょう》を聳動《しょうどう》せんと勉《つと》めたる所以《ゆえん》に非ざるか、竊《ひそか》に測量《そくりょう》するところなれども、人々の所見《しょけん》は自《おのず》から異《こと》にして漫《みだり》に他より断定《だんてい》するを得ず。
当人の心事《しんじ》如何《いかん》は知るに由《よし》なしとするも、左《さ》るにても惜《お》しむべきは勝氏の晩節《ばんせつ》なり。江戸の開城《かいじょう》その事|甚《はなは》だ奇《き》にして当局者の心事《しんじ》は解《かい》すべからずといえども、兎《と》に角《かく》その出来上《できあが》りたる結果《けっか》を見れば大成功《だいせいこう》と認めざるを得ず。およそ古今の革命《かくめい》には必ず非常の惨毒《さんどく》を流すの常にして、豊臣《とよとみ》氏の末路《まつろ》のごとき人をして酸鼻《さんび》に堪《た》えざらしむるものあり。然《しか》るに幕府の始末《しまつ》はこれに反し、穏《おだやか》に政府を解散《かいさん》して流血《りゅうけつ》の禍《わざわい》を避《さ》け、無辜《むこ》の人を殺さず、無用《むよう》の財《ざい》を散ぜず、一方には徳川家の祀《まつり》を存し、一方には維新政府の成立《せいりつ》を容易《ようい》ならしめたるは、時勢《じせい》の然《しか》らしむるところとは申しながら、そもそも勝氏が一身を以て東西の間に奔走《ほんそう》周旋《しゅうせん》し、内外の困難《こんなん》に当《あた》り円滑《えんかつ》に事を纒《まと》めたるがためにして、その苦心《くしん》の尋常《じんじょう》ならざると、その功徳《こうとく》の大《だい》なるとは、これを争《あらそ》う者あるべからず、明《あきらか》に認《みと》むるところなれども、日本の武士道《ぶしどう》を以てすれば如何《いか》にしても忍《しの》ぶべからざるの場合を忍んで、あえてその奇功《きこう》を収《おさ》めたる以上は、我事《わがこと》すでに了《おわ》れりとし主家の結末と共に進退《しんたい》を決し、たとい身に墨染《すみぞめ》の衣《ころも》を纒《まと》わざるも心は全く浮世《うきよ》の栄辱《えいじょく》を外《ほか》にして片山里《かたやまざと》に引籠《ひきこも》り静に余生《よせい》を送るの決断《けつだん》に出でたらば、世間においても真実、天下の為《た》めに一身を犠牲《ぎせい》にしたるその苦衷《くちゅう》苦節《くせつ》を諒《りょう》して、一点の非難《ひなん》を挟《さしはさ》むものなかるべし。
すなわち徳川家が七十万石の新封《しんぽう》を得て纔《わずか》にその祀《まつり》を存したるの日は勝氏が断然《だんぜん》処決《しょけつ》すべきの時機《じき》なりしに、然《しか》るにその決断ここに出でず、あたかも主家を解散《かいさん》したるその功を持参金《じさんきん》にして、新政府に嫁《か》し、維新功臣の末班《まっぱん》に列して爵位《しゃくい》の高きに居《お》り、俸禄《ほうろく》の豊《ゆたか》なるに安《やす》んじ、得々《とくとく》として貴顕《きけん》栄華《えいが》の新地位《しんちい》を占めたるは、独《ひと》り三河武士《みかわぶし》の末流として徳川|累世《るいせい》の恩義《おんぎ》に対し相済《あいす》まざるのみならず、苟《いやしく》も一個の士人たる徳義《とくぎ》操行《そうこう》において天下後世に申訳《もうしわけ》あるべからず。瘠我慢《やせがまん》一篇の精神《せいしん》も専《もっぱ》らここに疑《うたがい》を存しあえてこれを後世の輿論《よろん》に質《ただ》さんとしたるものにして、この一点については論者輩《ろんしゃはい》がいかに千言万語《せんげんばんご》を重《かさ
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