瘠我慢の説
序
石河幹明
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)瘠我慢《やせがまん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)稿|成《な》るや
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から2字上げ]石河幹明 記《しるす》
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瘠我慢《やせがまん》の説《せつ》は、福沢先生が明治二十四年の冬頃に執筆せられ、これを勝安芳《かつやすよし》、榎本武揚《えのもとたけあき》の二氏に寄せてその意見を徴《もと》められしものなり。先生の本旨《ほんし》は、右二氏の進退《しんたい》に関し多年来《たねんらい》心に釈然《しゃくぜん》たらざるものを記して輿論《よろん》に質《ただ》すため、時節《じせつ》を見計《みはか》らい世に公《おおやけ》にするの考なりしも、爾来《じらい》今日に至るまで深く筐底《きょうてい》に秘《ひ》して人に示さざりしに、世間には往々《おうおう》これを伝うるものありと見え、現に客冬《かくとう》刊行の或る雑誌にも掲載《けいさい》したるよし(栗本鋤雲《くりもとじょうん》翁は自《みず》から旧幕の遺臣《いしん》を以て居《お》り、終始《し
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