泥の雨
下村千秋
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)臍緒《へそな》だよ
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つた。
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ます/\重くなつて
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日が暮れると、北の空に山のやうに盛り上つた黒雲の中で雷光が閃めいた。キラツと閃めく度にキーンといふ響きが大空に傳はるやうな氣がした。
由藏は仕事に切りをつけると、畑の隅に腰を下して煙草をふかし始めた。彼は死にかけてゐる親爺のことを考へると家へかへることを一刻も延ばしたかつた。けれど妻のおさわが、親爺の枕元へ殊勝らしく坐つて、その頭などを揉んでゐやしないかと想ふとぢつとしてはゐられなかつた。
「畜生、片足を穴へ突つ込んでゐるのも知りやがらねえで」
由藏は親爺にともおさわにともつかない言ひ方をしてべつと唾を吐いた。やがて煙草入れを腰にぶつこむと、萬能を肩にして立ち上つた。
道端のくさむらの中では晝のきりきりす[#「きりきりす」はママ]がまだ啼いてゐた。日中、ぢりぢりと燒かれた道の土のほとぼりが、むかむかしてゐる由藏の胸を厭に圧迫して吐氣を催させた。咽喉は痛いほど乾き切つてゐた。
妻のおさわが親爺の妻にもなつてゐることを知つたのはその半年前であつた。親爺の妻――由藏の繼母はその一年前に死んでゐた。その時親爺は六十八であつた。で嫉妬深い由藏もそれだけは安心して、妻を親爺の傍に置いて十日二十日の出稼ぎに出た。そうした或る夜遲く由藏がかへつて來ると、内から人の肌をなぐるらしい音がぴしりぴしりと聞えて來た。それにつゞいて、親爺が由藏にはとても聞いてゐられないことを繰り返し言つてゐるのが聞えて來た。
由藏がごとりと戸を開けて入つて行くと、親爺は乱杭のやうな黄ろい歯を現はして、「アフ、アフ、アフ」といふやうな笑ひ方をした。それから、親を親とも思はねえ奴はなぐるより仕方はねえといふようなことを言つて布團の中へもぐり込んだ。おさわははだかつた胸を掻き合せながら土間の中をうろうろした。由藏は何んにも言はずにおさわを力任せに突き倒した。それでもおさわはぐつとも言はなかつた。
その時由藏は、布
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