團の中の親爺を霜柱の立つてゐる庭へ引き摺り出さうかと思つた。けれど由藏の極度の怒りは彼の身体の自由を縛つてしまつた。彼は土間の眞中に突つ立つたまゝぢりぢりしてゐた。
やがて由藏の胸には、氷のやうな汗が滲み出たやうに思はれる冷たいものが湧いて來た。その冷たいものは、親爺を人間ではないいやな動物かなんぞのやうに彼に思はせた。そこには、叩きつけても踏みにじつてもまだぐりぐり動いてゐる蛭を見てゐるやうな憎しみがあつた。
この時から由藏は、親爺の方で死なゝければ俺が死なしてやると思ふやうになつた。
由藏は十三の秋に始めていまの親爺の顏を見たのであつた。それまで彼は、霞ヶ浦の船頭をしてゐた祖父に育てられてゐた。祖父が死んだときその屍を引き取りに來たのがいまの親爺であつた。親爺は彼を村の家へ連れて行くと、神棚の隅から纜縷布にくるんだものを取り出して来て彼の前に展げた。中には乾からびた猫の糞のやうなものがあつた。
「これがわれ[#「われ」に傍点]の臍緒《へそな》だよ」と親爺は言つて、自分が眞実の親だといふことを証明しやうとした。そのとき由藏は子供心に可笑しくなつた。また腹も立つた。そしてこんな親爺なら無い方がましだと思つた。その頃由藏はよく一人でしくしく泣いた。
「われア親爺でもねえ親爺を持つて、今に見ろ、子守に叩き賣られちもうから」と村の人達はづけづけと言つた。
果してそれから半年目に由藏は隣村へ子守にやられた。そのときから由藏は村の人が言つたことを信ずるやうになつた。彼は一年に一度も親爺の家へは歸らなかつた。
由藏はだんだんとひねくれた図々しい人間に育つて行つた。廿才の年までに八度奉公先を代へた。廿一の年に奉公[#「奉公」は底本では「奉行」]を止め、祖父の業にならつて霞ヶ浦の船頭になつた。土浦と銚子の間を、魚や米や材木などを積んで往復した。
廿三の春に妻を貰つた。それがいまのおさわである。おさわは同じ船頭仲間の河童《かつぱ》の大公《だいこう》と呼ばれてゐた、[#「ゐた、」は底本では「ゐた。」]眼が円くて口が尖んがつた男の妹であつた。おさわは左の眼が髑髏のやうにへこんだ独眼であつた。けれど船乗りとしては割に肌が白くつてぽつてりとした肉持ちが由藏を喜ばせた。それ迄に父《てゝ》なし子を産んでゐたといふことなどはもとより由藏を不愉快にはしなかつた。
妻にして見るとおさわの
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