兵士と女優
オン・ワタナベ(渡辺温)

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)硝子《ガラス》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き](一九二八年七月号)
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 オング君は戦争から帰って、久し振りで街を歩きました。軒並のハイカラな飾窓の硝子《ガラス》に、日やけして鳶色《とびいろ》に光っている顔をうつしてみました。高価なネクタイだのチェッコスロバキヤの硝子細工だのを売る店の様子は戦争に行く前とちっとも変っていませんでした。
「ちょいと、ちょいとってば!」
 顔に黄色い粉をはたきつけた派手な様子の娘が、オング君をうしろから呼びとめました。
「おや、ハルちゃんじゃないか。これはよいところで!」オング君は嬉しくなって、そう云いました。
「どうしたの?」と娘は訊きました。
「どうしたのって」――オング君はそこで娘の身なりをよく見ました。「君、いま、ホノルル・カフェにはいないのかい? 僕の手紙見てくれなかったのかい?」
「うん、見た。けれど、ホノルルは夙《つと》の昔に辞職しちゃった。知らないのかい?」と娘は云うのです。
「知るもんかさ」
「いやだなあ、ほら、そこのエハガキ屋をごらんなさい。あたしの写真が一っぱい飾ってあるぜ」
「なんだ。キネマの女優になったのか」
「うん。知らないなんて、じゃ、やっぱり戦争に行ってたのは本当だったのね」
 娘は大袈裟《おおげさ》に首をふって、感心したような溜息を吐《つ》きました。
「本当とも。だから、戦地で態々《わざわざ》写真まで撮《うつ》して送ってやったじゃないか。それに、こんなに真黒になっちゃった」オング君は、まともに娘の鼻さきへ顔をつきつけながら、そう云って笑いました。
 オング君と娘とは、それから何とか云う喫茶店でコーヒーを飲んで腰を据えました。
「活動女優って面白いかい?」とオング君はききました。
「だめさ。お金がないんだもの」と娘は答えました。
「だって、なかなか豪勢なきもの着てるじゃないか」
「盗んだも同然だよ。毎日いろんな奴を欺してばかりいるんだからね。いいきものを着てない女優なんてありっこないの」
「なぜ、スターに月給どっさり出さないのかね。まさか、みんなそう云うわけでもないだろう?」
「お金なんか沢山出さなくたって、女優はめいめいで稼ぐからいいと、会社じゃそう思って
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