髪を容れず彼の杞憂は事実に置きかえられた。扉は容赦なく内から押し開らかれた………長さ一丈に余る大丸太は二つながら風を切って彼を目懸けて倒れて来た! 驚愕! 咄嗟《とっさ》、彼は左足を欄干から外ずし、身体の位置を変えようと試みた………と、何んたる不幸! その時全体の体重を支えていた右足が小天使《エンゼル》の肩をツルリと滑ったのだ! 死の唸めきがその唇をついてほとばしる………次の瞬間彼の両腕は六十呎の空間に空しく泳いでいた!………

        4

 人々は事件直後から今日までの、彼の選んだ態度に就いて非難を試みるかも知れない。――彼はその翌朝、平然として倉庫からあらわれた。そして今日まで、一言でも事の真相を歯から外へは出さないで来たのだ――それは彼の意志だった。だが、或いは彼の環境が、その意志を助長させたとも云える。誰一人として彼に疑惑の視線を投げない! 否、この惨事の一幕に於ける彼の存在そのものを知らない。彼には当夜何事も起らなかったのだ。
「え? 僕がこの手で犯した殺人に恐怖を感じないかって? 良心の苛責? 精神的苦悶?………冗談だ! 僕はその種のロマンチシズムやセンチメンタリ
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