髪を容れず彼の杞憂は事実に置きかえられた。扉は容赦なく内から押し開らかれた………長さ一丈に余る大丸太は二つながら風を切って彼を目懸けて倒れて来た! 驚愕! 咄嗟《とっさ》、彼は左足を欄干から外ずし、身体の位置を変えようと試みた………と、何んたる不幸! その時全体の体重を支えていた右足が小天使《エンゼル》の肩をツルリと滑ったのだ! 死の唸めきがその唇をついてほとばしる………次の瞬間彼の両腕は六十呎の空間に空しく泳いでいた!………

        4

 人々は事件直後から今日までの、彼の選んだ態度に就いて非難を試みるかも知れない。――彼はその翌朝、平然として倉庫からあらわれた。そして今日まで、一言でも事の真相を歯から外へは出さないで来たのだ――それは彼の意志だった。だが、或いは彼の環境が、その意志を助長させたとも云える。誰一人として彼に疑惑の視線を投げない! 否、この惨事の一幕に於ける彼の存在そのものを知らない。彼には当夜何事も起らなかったのだ。
「え? 僕がこの手で犯した殺人に恐怖を感じないかって? 良心の苛責? 精神的苦悶?………冗談だ! 僕はその種のロマンチシズムやセンチメンタリズムはとうの昔にどこかへ置き忘れて来てしまった。これは君、何の不思議もない出来事さ。舗道を歩いたら靴の底が減ったと云うようなものだ。………扉を開けたら一人の男が死んだ………殺したんじゃない死んだんだ。それは僕の責任じゃあない……」
 ――都市美術社の若い装飾工の墜死は、墜死者自身の不注意に基因する! というのが居合せたすべての人々の到達した結論だ。彼が墜ちたのは二本の丸太の衝撃を避けようと試みたことにある。何故装飾用材は自然的に倒れたのであるか? 彼の立て方に何らかの不注意があったのだ。若い未熟な技工の間にはしばしば起ることだ。敢えて珍らしくはない。又それ以外に想像は許されない。生憎彼の近くには誰もいなかったのだ。その丸太が家具部倉庫の扉のあたりに立てられてあったことは、倒れた位置で推察された。
 だが、それで終りだ。
 誰が――全く、誰が錠の下りた倉庫の扉に就いて疑がうことが出来るだろう! さて、私は、この物語に大そう古風な標題をつけた――
「扉は語らず」
[#地付き](一九三〇年四月号)



底本:「「猟奇」傑作選 幻の探偵雑誌6」ミステリー文学資料館編、光文社文庫、光文社
   2001(平成13)年3月20日初版1刷発行
初出:「猟奇」
   1930(昭和5)年4月号
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2005年8月19日作成
青空文庫作成ファイル:
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