ツのエス・フイツシヤアが其発行する文学書に美しい更紗模様の図案を施した。ホフマンスタアルのさう云ふ本を幾冊も買ひ求めたが、皆大震災の時失つてしまつた。さういふものがわたくしの本の表紙の図案に或る影響を与えてゐることは疑が無い。
大正八年アララギ発行所がわたくしの「食後の唄」を出版してくれた。今のアララギの傾向とはまるで相合はぬものであつたが、当時は文壇がまだ甚だ分化せず、かかる雑糅が何の奇もなく行はれてゐた。これは四海多実三の侠気により上梓せられたもので、北原白秋君が序をかいてくれ、島木赤彦君が校正をしてくれた。発行部数は少く、其半ばは発行書肆に於て大震災で焼け失せた。島木君は古典に親しむ者であつたから、わたくしがわざと匹田《しつた》と下町風の称呼で振仮名をしたのを、匹田《ひきだ》と直したりなどした処もあつた。その集の装釘は小糸源太郎君に頼んで、唐桟模様にして貰つた。それは江戸趣味に直したエス・フイツシヤア本であつた。
同じモチイフは「木下杢太郎詩集」では成功しなかつた。
與謝野寛・與謝野晶子両詩宗は既に歴史のうちの名となつた。わたくしは今考へて、其新詩社に通つた頃と其あとの
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