90−92、109−9]《ひめぢよをん》を大きな紙にいつぱい画いた人があつた。この草の茎は時として人の胸に達する高さにもなるが、其画では人の頭までほど高く、従つて花は菊の花ぐらゐの大さに為上げられてゐた。青龍展のこの悪趣味をわたくしは私かにメガロマニアと呼んでゐるが、あれを尺大に縮めてくれたら、好い本の表紙になると思つて看て過ぎた。
 ちからしば[#「ちからしば」に傍点]などといふ雑草が群り繁るのを見ると、これも図案になる。めひしば[#「めひしば」に傍点]のはびこる空地は、その柔らかさ駱駝の毛の織物に優るとも劣らぬ感じである。あれをゆつくりと写したら類のない本の表紙とならう。
 或日或処でふと窓の外を窺ふと、秋の暮に近い弱い日が羽目板の裾に当り、禾本科の草の蔭をシルヱツトのやうに写してゐた。それに濃淡が有り、而も自然の奥行を想像せしめた。是こそ絶好の本の表紙だと思つた。その草はと目を移すと、なほ幾ばくかの穂を止めたえのころぐさ[#「えのころぐさ」に傍点]であつた。こんなものも見方によると、あんなにも美しい模様になるかなと嘆ぜざるを得なかつた。

 そしてたふとい日曜日のいくつかを費して
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