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第一の童子 あれ鐘がなる。鐘がなる。皆《みんな》早う去《い》のうよ。――お主達《ぬしだち》も早う去《い》なないと、見よ、今に南蛮寺の門に食はれるぞよ。恐いぞ、恐いぞ。昨日《きのふ》も一昨日《をととひ》も人が食はれたさうぢや。皆、去なうよ。去なうよ。
妹の順礼 お時どのよ。我等《わがら》も早う行かうよ。
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皆々退場。暫く素舞台。遠くにて再び夕やけの唄。
* * * *
千代(年わかき母)、その子常丸下手より物語りつつ登場。
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常丸 そんなら、その黒い魚は何処《どこ》に棲んでゐるのぢやえ。
千代 人の心《しん》の臓の中に居るのぢや。
常丸 それが奈何《どう》して外へ出るのぢやらうな。
千代 その黒い魚には羽が生《は》えて、鳥よりも速う、空へ飛んでゆくといふことぢや。
常丸 それから奈何するのぢやえ。
千代 河ぢやろが、山ぢやろが、海ぢやろが、日輪ぢやろが、何処へでも飛んでゆくのぢや。その魚が空を蔽へば、日も曇つて、天《そら》の森に赤児が泣く。
常丸 空に奈何して赤児が泣くのぢやえ。
千代 遠《とほ》いい、遠いい、父様《ととさま》や、ばば様、ぢぢ様の国にまゐりたいといふて泣く。
常丸 父《とと》さまの国にえ?――母様《かかさま》、父様の国は空天竺《そらてんぢく》におぢやるのかいなあ。
千代 空の、空の、大空の、夜摩《やま》の国といふところに、ぢぢ様も、父様も、また死んだ其方《そなた》の妹も、みんな仲よう暮《くら》いておぢやると、最勝寺様が申された。
常丸 かか様。何といふ国ぢやつたかな。
千代 かか様も善《よ》うは知らぬが、夜摩の国とか申された。
常丸 その夜摩の国に私《わし》も行きたいわいな。
千代 あれ滅相な、滅相なこと。その国にはな、五つの眼ある恐ろしい犬が居て、小さい子供には行かれぬ所ぢや。
常丸 (歩み渋りながら。)私《わし》や其国に行きたいわいな。
千代 こや、常丸。そのやうに聞きわけ無《な》うては、もはや何処《いづく》へも連れてゆかぬぞや。あれ、入日にも間近いさうな。急いで参りませう。
常丸 その五つの眼の犬とは、どのやうに恐ろしいものぢやえ。
千代 まあさ、其の話は後《あと》で詳《くはし》うするさかいに、早うまゐりませう。
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