常丸 母様今日のお会式《ゑしき》は面白うおぢやつたのう。私《わし》やあのやうに面白うおぢやつたのは、生れてから今日が始めてぢや。私《わし》やまだ見ておぢやりたかつたのに。私《わし》や家《うち》へ帰るはいやぢや。
千代 まあ、此子としたことが――そのやうな事いふものは、あの恐ろしい犬めが拉《さら》つてゆきますぞや。家ではばば様が待つておぢやらう程に、早う参らうわいな。
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母なる人の友、菊枝、上手より来りてこの母子《おやこ》に摩《す》れちがひ、
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菊枝 はれ、待ちやれいのう。お前は千代さまぢやおぢやらぬかいな。
千代 あれ、これは菊枝さまさうな。異《い》な所でお遇ひました。
菊枝 お前は何処《どこ》からのお帰りぢや。
千代 今日は最勝寺さまの御会式ぢやさかいに、死んだ娘と、この子の父御《ててご》の供養《くやう》しておぢやつた。郷《さと》の母様《かかさま》が強《きつ》う止めるゆゑ、竟《つい》遅うなつて、只今帰るところぢや。してお前は何処からぢやえ。
菊枝 さて其事ぢや。妾《わらは》はな、近ごろ大《いか》い苦労をしておぢやつた。それ、お前も存じよりの黒谷の加門様の妹娘のことぢやが、あの娘が気がふれてな。
千代 はれ、まあ。
菊枝 ぎざぎざ針を植ゑたる金具もて、われとわが胸を十字に掻《か》い傷つけ……
千代 はれ、まあ。
菊枝 その揚句には親達も、男子《おとな》、女子《をなご》も見さかい無う切り付くるのぢや……
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* * * *
二人の女の会話のうちに、常丸、母の傍より離れて南蛮寺の門に近づき、つくづくと内を覗う。やがて小さき常丸の声にて、
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常丸 ほんまかえ。ほんまかえ。ほんまに嘘ではあらないと云ふのぢやな。……何ぢや。もつと、もつと、もつと面白い所ぢやてや。いやいや夫《そ》れは嘘ぢやらうわ。私《わし》が今日見た地獄の機関《からくり》より、もつと面白いものは唐《から》天竺にも決しておぢやらぬわ。……何、秋でも冬でも牡丹の花が咲いておぢやるてや。え。われら父上も、……あの可愛《かは》いい妹も生きておぢやるてや。……ま白い象も棲んでおぢやるてや。嘘ぢや。……何、ほん
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