如く、つぶつぶと独語《ひとりご》つ。)……御《ご》、御先祖《ごせんぞ》への申訳ぢや……御、御、御先祖への申訳ぢや……(よろめきつつ再び上手の方より去。)
第一の所化 (一歩前に踏み出し乍ら)やれ、口惜《くちをし》や、南蛮寺の妖術めに化《ばか》されておぢやつたとは。
長順 (夢中に老いたる侍の後を追ひゆきて)お侍、些《ち》と待たれい。
第一の所化 (忽ち長順の領《えり》を捉へて)こや、長順。
長順 離しやれ、そこ離しやれい。
第一の所化 お主《ぬし》は血相かへて何する積りぢやえ。
長順 ふむ、何を隠さう――徒《いたづ》らに俗世間の義理人情に囚へられ、新しき教の心もえ覚《さと》らぬ俗人|原《ばら》、あの老耄の痩首|丁切《ちよんぎ》り、吉利支丹宗へわが入門の手土産《てみやげ》にな致さむ所存。
第一の所化 何と、吉利支丹へ入門とな。
長順 新しき不可思議を某《それがし》は望むのぢや。
第一の所化 やあい、同学衆よ。長順が吉利支丹へ改宗ぢやと申し居るわ。
所化等 え、邪宗へ改宗ぢやてや。
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再び門内に楽声。あこがるるが如きろまんちつしゆ[#「ろまんちつしゆ」に傍点]の曲節。
[#ここで字下げ終わり]
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長順 おおあの声にあくがるるのぢや。
乗円 (痛ましき顔容をなして)長順!(長順眼差を落す。)
学頭 如何に方々、長順が堕落の程はもはや一毫の疑も容《い》れぬ所ぢや。容捨は無用ぢや。棒を与へよ。
第一の所化 長順今ぞ思ひ知れ!(杖を以て打たむとす。)
乗円 (之を遮りて)ま、ま、待たれい、方々、第一の笞《しもと》はこの乗円に任されよ。――やよ、長順。煩悩六根の為めに妨げられたる其方《そち》の心では、わが言《こと》はえ分るまいが、古き法類ぢや、少時《しばし》わがいふことを聞かれよ。其方とわれとはふとしたる奇縁により、兄弟も及ばざる交を結びたりしが、かの時誓ひし言の葉は、まだえ忘れは致すまいがな。
長順 ふつ。
乗円 大恩教王の御教は日月輪《にちぐわつりん》の如く明かれども、波羅密多《はらみた》の岸は遠く、鈍根痴愚の我等風情に求道の道は中々の難渋、それ故に互に諫《いさ》め励まし、過あれば戒め懲《こ》らし、よしや歩《あゆみ》は遅からうとも、いやさ精進懈怠《しやうじんけたい》はあるまいと、誓ひし言葉を覚えて居やるか。

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