げ]
楽声快活に、敬虔に、やがて急激に、やや誘惑的に、更にまた憂鬱に。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
菊枝 して、して、……あの千代どのもおぢやるかいな。
伊留満喜三郎 千代殿とは何ぢや。何処の人ぢや。
菊枝 まだ二十五とはならぬ女子ぢや。なれども二人の母人《ははびと》ぢや。その妹の子はこの春死んでおぢやつたのぢや。
伊留満喜三郎 おぢやるわ。おぢやるは。それもおぢやるわ。
菊枝 倅《せがれ》の常丸どのもおぢやるかいのう。
伊留満喜三郎 おぢやるとも、おぢやるとも、皆《みんな》おぢやるわ。
菊枝 はれ。お祭を見ておぢやるかいのう。何とまあおとましい人々ぢや。此方《こなた》は強《きつ》う案じておぢやつたのになあ。
伊留満喜三郎 いや、皆はもう神さまになつて、美しい翼が生えておぢやるのぢや。はれ、美《うるは》しい行列ぢや。歌唄うておぢやるわ。
菊枝 何と戯《たは》けた事をいふ人ぢや。妾は嚮《さき》から、真《まこと》か、真かと聞いておぢやつたのに。おとましいことぢや。
伊留満喜三郎 はれ黒い尼達が来ておぢやつた。日が曇つた……。
うかれ男 やい。油売奴《あぶらうりめ》。そこ退《の》きやれ。――や、や、如何にも此処に細い隙間があるわ。やれ、やれ、某《それがし》も一つ覗いて呉れむず。
白萩 見えたかいなあ。何ぞ見えたかいなあ。
うかれ男 善う見える。善う見える。はれ、偽《いつはり》の底が善う見える。
白萩 ほんまに何が見えるぞいなあ。
うかれ男 南蛮寺の台所が善う見えるわい。聞きや。はれ。や、何とも云へぬ名香《みやうがう》のかをり、身も心も消ゆるやうぢや。四方には華の瓔珞《やうらく》、金銀、錦の幡天蓋《はたてんがい》、※[#「王+(「毒」のあしが「母」)」、第3水準1−88−16]瑁《たいまい》の障子、水晶の簾《みす》。まつたそが中の御厨子《みづし》の本尊、妖娟《たをやか》なる天女の姿、匂ひやかなる雪の肌、消《け》たば消ちなむ目見《まみ》の霞……造りも造りたる偽の御堂よな。(門扉の隙より目を離し、唄ふがごとき調子にて)さて、偽りとは知りながら悟られぬのがそれ何やらの道。喃《なう》[#ルビの「なう」は底本では「のう」]、白萩小女郎、昔の人は秀句《しうく》吐《は》くな。
白萩 あれまたいやらしい戯《たはむ》れごと。
うかれ男 何で某《それ
前へ
次へ
全22ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 杢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング