うな、名状すべからざる不快の氣分が彼の全官能を襲つた。
忽ち或る朗らかな聲がした。「富之助、お前どうしたの。今日は寒いから、お前、風を引くよ。」
姉のおつなの聲である。おつなは何時ものやうに、粗末な鼠つぽい阿波縮《あはちぢみ》の單衣《ひとへ》を着て、彼の枕元に立つて居た。「素麺《そうめん》が出來たから下へ行つておあがりよ。」
少年は昔讀んだ「雪野清」といふ小説のことを思ひ出した。
姉はまた語を續けた。「お前の友達つて人は本當に今日來るの?……何なら今夜内へ宿《と》めてやつても可いとおつ母さんが言つてお出でだつた。」
富之助はこの言葉を聞いてぎくりとした。そして周章《あわ》てて言つた。「姉さん、そりや内には宿まんない方が可いよ。友達つて云つたつて僕よりずつと級の上の人で、そんなに善くは知らない人だもの。それに僕はあんまり好きでない人だもの。級が上で、善くは知らないのだから……」
善くは知らないのだからといふ言葉には殊に調子を付けて繰り返して言つた。
「だつてせつかく態々《わざわざ》來るのだから……そんなに内へ遠慮なんか、お前、しなくつても可いのよ。おつ母さんがお休みになつて居
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