大抵晩に飮みます。」
「澤山飮むのかえ。」
「毎晩五合づつ買ひに行つたが、面倒くさいから昨夕から一升買ひました。」
「ひとりで飮むかえ。」
「始めには獨りで飮んだが、時々は家の兄さんと一緒に飮むことがあります。それに別莊から客が來ることがあります。」
 其別莊と云ふのは同じ土地へ東京の人が建てたもので、そこへ毎年學生たちが來るのである。
「夜は早くねるかえ。」
「時々夜中まで歸つて來ないことがあります。」
「○○(遊廓のある町名)の方へ行くかえ。」
「どうですか。」といつて笑つた。
「何してゐるえ、一日。」
「何して居ますか。」
「一日家にゐるかえ。」
「大概家にゐます。」
「何か話をするかえ。」
「何にも言はないで默つてゐます。」
 會話は要領を得なかつた。
 富之助の家では寫眞が一枚無くなつた。姉のおつなが東京の叔母と寫したものである。それを急に母が郵便で東京に送らうと思つて搜したが見付からなかつた。然し皆別に氣に止めはしなかつた。富之助は寫眞箱を出して鹿田に見せたことを覺えてゐる。それ故富之助ばかりは、是はてつきり鹿田が持つてつたものと信じてゐる。
 富之助は毎日毎日いろいろのことに神經を惱ましながら、それでも何もしないで家にぐづぐづしてゐたが、或る一日、今日はどうしても一伍一什を、せめて母にだけでも話してしまはうと考へながら、到頭その日も話すことが出來なかつた爲めに、非常に煩悶した。
 そして家から逃げ出さうと空想した。

 やはり海岸で陸地が崖に成つて居る處があつた。道路はその崖の上で、若し過《あやま》てば海に落ちるやうなこともあるから、所々には針金を通じた木柵を建ててあつた。崖から下を覗くと數丈の赤松が繁つて其間に碧漫々たる海が見える。時とすると、水が靜かなところから、夕方などに船が懸つてゐることがある。正に一幅|豪宕《がうたう》の畫圖である。或はまた西洋人の女だちが、わざわざ短艇をここまで出して、人目を避けて遊泳をすることもある。さうすると人は遠眼鏡でそつと海面を眺めて喜んだりした。
 午後の四時ごろの烈々たる日光は、草の緑、土の紫、海の碧、凡てありとあらゆるものをまつ黄色にして、地球を孵化させようといふ勢である。そこへ二人の少年が山の方から下つて來た。
 二人は道と道との間を、海の上へ懸け渡した小橋の上に來かかつたが、突然一人が言つた。
「隨分ここか
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