ら下は深いなあ。若し落ちたら死ぬだらうか。」
「そりや死ぬにきまつてゐる。」と他の一人が答へた。「下まで屆かないうちに人間は死んでゐる。」
「なぜ下まで落ちないうちに死ぬだらう。」
「なぜだか知らないけれども、飛行機から落ちても、下まで屆かないうちに死ぬさうだ。」
「華嚴《けごん》やなんかの瀧でもさうだらうか。」
「瀧ぢやどうだか分らない。途中岩へぶつかつたりするから。」
「下まで落ちないうちに死ぬのなら苦しくはあるまい。」
「そりや苦しくは無からうと思ふ。」
二人の少年は橋の欄干へ手を懸けて、深く海の底を眺めてゐる。碧澳《へきあう》の水が澄明で、中の岩まで見えさうである。
そこから視點を外《そ》らして、自分の立つてゐる橋まで及ぼすと、一種の對照の感情を覺えて、身の毛がよだつことがある。それと同時に、なんか、中へ飛び込んで見たいと思はせる誘惑がある。
「はつ!」と一人の少年が大聲を擧げた。も一人のは喫驚《びつくり》して振り迎つた。
「おお、びつくりした。何うしたともつた[#「もつた」は「おもつた」の誤記か]。」
「下へ飛び込んだら、何うだらう。」
「止し給へ、冗談はしたまふな、魔が差すことがあるよ。僕は喫驚して、も少しで欄干から手を放すとこだつた。」
「一萬圓賭けたら、下へ飛び込む人があるだらうか。」
「一萬圓だつて有りやしない。」
「有るかも知れないよ。」
「いくら一萬圓だつて、死んぢや貰ふことは出來ないぢやないかね。」
「然し一萬圓貰はなくても、飛び込む人があるからね。」
「そりや別だ、厭世家だから。」
「然しどんな氣持だらう。」
「分りやしない。」
「僕には分るやうな氣がする。久しく下を見てゐると、飛び込みたい氣になるよ。」
「君は氣違だから。」
「僕はもとから屡《よく》人に氣違だと言はれたことがあるよ。」
「そんな人は危險人物だ。」
「その代りに何かで決心が付きや、僕はきつとこの處へ飛び込むね。それが國家の爲になるとか、人を救ふとかいふことになれば。」
「君には犠牲的精神があるといふのだらう。」
「別にそんな事を高慢にするのぢやない。」
「然し考へると本當になるつて言ふよ。」
「美だと思ふ、僕は。こんな處から下へ落ちて死んだら、肺病や何かで死ぬよりも好いぜ。」
「馬鹿だなあ、暑いや、早く行かう。」
「見給へ、水の底がまつ青に見えるよ。水の精でも棲んでゐる
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