て置く為めに、自分は友人を拉してその近くの料理屋の二階に登つた。さうして重い緑色のペパミントと濃い珈琲《コーヒー》とを併せ飲んだ。欄千の日差はやがて正午に近いといふ事を知らした。
「では皆さんに申上げますが、之は私の長男です……」階段に下りかかる時、葦簾の襖を隔てた隣室からかう云ふ言葉を聞いた。そこには本郷座的に礼装した一群が卓を囲んでゐた。高い島田を結つた女の後姿も見えた。年とつた男の人が今立ち上つて若い人を紹介する所だつたらしい。そんな声を聞きながら、自分等は再び外へ出た。

 人は沈黙してゐる。足の爪先に病でもあるやうに、じつと物うれはしげに地の面を眺めてゐる。そこには海底のやうに緑《あを》い弧灯の波をうけて、白と紅との芙蓉の花が神経的に顫へて居た。
 星のない八月の夜は暗かつた。どことなしに、然し、なつかしい夏の夜の光がおぼめいて居た。
 噴水の夜の音楽。
 暗く、陰鬱に、しかも懐しく悲しい水の曲節は、たとへば、西洋楽を聴くに熟せざる吾等若き東洋人がチヤイコウスキイの夜の曲のロマンチツクな仏蘭西的魯西亞的旋律をきく時に、どこかの国が、はたその国、その国民の烈しき情緒生活が音楽の
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