間、三時間の漫歩の間に官能の雑り織る音楽を味ふ事が出来る。――
自分は今心が惑ふ。九月の朝の日比谷公園の印象を語らうか。或はそこの八月の夜を描き出さうか。或は更に興味ある秋の夜の銀座裏町の生活を語らうか。それとも春雨頃の、沈んだ三味線の音のやうに淡く寂しい深川の河岸の情緒を語らうか。
嘗つて自分が永井氏の「深川の唄」を読んだ時、このさとの哀れ深い生活が氏の豊麗な才筆に取り入れらるるといふ事を如何に喜ばしくも亦妬ましくも感じたつたらう。かの同盟罷工の一揆のやうに獰《あら》くむくつけき文明の侵略軍の、その尖兵にもたとへつ可き電車さへも、この里には、高橋より奥には寄せて来なんだ。だからあの不動様にも、昔のままに奇しい蝋燭の火が点つてゐる。ここの娘たちは冬にも足袋をはかぬ。まだ広い黒繻子の襟をかけて居る。濃い紫の半襟をかけてゐる。赤い手がらをかけてゐる。昔の芝居によく出たやうな深川の質屋も、材木屋も、石材問屋も、醤油屋の低く長い蔵の壁も昔のままに沈黙してゐる。さうして考へて居る。悲しんで居る。縁日にはまだ覗き機関《からくり》が哀れな節を歌つてゐる。阿呆陀羅経が人を笑はしてゐる。――
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