た白に浅葱の縞模様、特産の鳴海綾は並び立つ太物屋の軒に吊り下つてゐる。その前の街道をば荷を付けた馬が通る。旅人めく一群の人が通る。
 古い錦絵の包蔵した情調は音楽の如く散歩する人の心を襲ふ。一種の譬へ難き哀愁が胸の底に涌く。その絶ち難い愛着を捨てて猶も歩を進めてゆくと、思ひがけなくも一列の赤い郵便馬車の駆け来るのに出遇ふ。今得たまどかな気分は忽ち破壊せられたので、不安の眸を放つて、市街ををちこちと見廻はしてゐると、斜日に照らされて、夢の如く浮び出てゐるニコライの銀灰の壁が目に入る……神田の古風な大時計がぢん、ぢん……と四時をうつ。
 ――かう云ふ平坦な記述が他の人人にも興味があるかどうだかは知らない。併し自分には東京の景物ほど心を引くものはない。それも単に視覚と、聴覚と、或は空気の圧迫に感ずる触覚と、偶は又、日本橋、殊に本町、大伝馬町にきく酢酸、塩素瓦斯、ヨオドフオルム乃至漢法方剤の怪しい臭ひ、九月の頃にはまた通一丁目、二丁目辺、長谷川町の辺にきく、問屋に出始めた冬物の裏地のにほひ――是等のいろいろの匂ひに感応する嗅覚といふやうなものの方面から見てである。
 かくして市街の散歩者は二時
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