フ所で「京都の豫感」を、實は味はうと思つたのだが、生憎京都のスケツチはみんな板彫の方に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて居たので見る事が出來なかつた。僕等は決して自然の景情を絶對的な自分の眼といふもので見る事が出來ないのだ。餘程其時代を支配してゐる大家に便つて居るのだ。たとへば春さき灰緑に芽ぐんで來る佃《つくだ》島の河沿の河原の草などを見る時分には、どうしても黒田さんの樣風《マニエエル》を想ひ出さずには居られない。東京の自然界で黒田さんと廣重との配調《アランジマン》を味ふのを、京都で祐信と中澤にしようと思つたのだが、中澤さん情調を吹きかけられることの出來なかつたのは遺憾であつた。
其代り氏の温泉スケツチの類集《セリイ》は見る事が出來た。温泉といふものは官能的にも固《もと》より愉快なものだが、更に繪畫の標準に換算しても亦面白いものでなければならぬ。白い裸體と紫色に澄んだ泉の表面とを主調とした色彩畫派的《コロリスチツク》の色彩諧調は思ひ出した丈でも食欲をそそる。
氏は油で浴泉圖をかくのだと云つて居られた。丹前風呂とか羅馬の浴場とか云ふものは、蓋し爛熟せる文明の窮極である。然し凡ての平俗を嫌つて珍奇を求める Degas の非情なる觀察眼が今の此國にも許されるならば、この種の畫題はむしろ町の生活に於て取られた方が面白からうと思はずには居られなかつたのである。纖弱《かよわ》い肩胛骨《あふぎぼね》は彫刻にも效果《エツフエエ》のある者である。更に温く曇つた水蒸氣の中に「白の調和」は一層善く、色彩畫家《コロリスト》のカン※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]スに向くと思ふ。清長の珍らしい浴泉圖は二枚あつて、その一枚がドガアの手に入つてゐると云ふ事は上田柳村先生の「渦卷」で承知してめづらしい事と思つた。(三月二十九日神戸にて。)
二十九日、三十日、雨。三十日の午過ぎに始めて空が霽れて來たから人と神戸市中を見物したが一向つまらなかつた。横濱にはまだ所々予の所謂「異人館情調」が殘つて居るけれども、神戸にはそれすら一向に無い。市中所見の物象は鉛直に非ざれば水平、水平に非ざれば四十五度六十度角で人の目の前に迫つて居る。近く見える西洋館から遠くの船舶の檣、港の起重機、棧橋上の鐵道荷車、各種の煙突、正午報知臺等が皆それである。色彩の方では煉瓦、屋根の瓦、ペンキ塗の羽目板、偶※
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