オい妙な心持になる。神社佛閣に張る千社札を三卷の帖に集めた好事家の苦心に驚かされた事があつたが「日本廣告畫史」などを完成するやうなのん氣な時代はいつ來る事やら。さう云へば立派な浮世繪史さへまだ碌々に出來て居ないでは無いか。(三月二十九日神戸にて。)

 昨夜神戸に入る前に日中京都で暮した。けれども今何も目に殘つて居るものとては無い。あれば唯河原の布晒し位のものだ。庚申《かうしん》橋とかいふ橋の下に大小紅紫いろいろの友禪の半襟を綱に弔るして居たのが、如何にも春らしく京都らしく好い氣持であつた。も一つは黒田清輝さん流のコバルト色の著物の男が四斗樽へ一ぱい色々の切《きれ》を入れて、それをこちこちと棒でかき※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]して居たのを見た。背景に緑を斑入《ふい》れにして灰色の河原の石の上に、あちらこちらに干されたる斑らに鮮かな色の布。こんな景色は澤山見られた。然し京都では、たとへば一人の人が河原に仕事をしてゐて、五六の人が惘然《ばうぜん》とそれを眺め入つて居る所も、油繪のやうには見えないで、却つて古い縁起ものの繪卷物の一部を仕切つたやうに見えるのである。京極の方から迷ひ込んで何とかいふ長い市場の通りを歩いたが、その兩側の家の、たとへば蒲鉾屋の淡紅淡緑、縞入りの蒲鉾、魚屋の手繰《てぐ》りものの小鯛、黒鯛、鰺、魴※[#「魚+弗」、第3水準1−94−37]《はうぼう》の類はいかにも綺麗に並んで居るが、然し決してカン※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]スとテレビンで取扱ふ事の出來るものでは無い。やはり祐信、春信等の趣味である。
 だから三條四條邊の町でよく見られる骨董店の英山、歌麿の類は、今の東京で見るより、こちらで見た方がいかにも當然で、居る可き所に居るやうに見えるのである。
 燈が點いてから三條から四條へ出る河沿の通りを歩いて見た。「未墾地」のネシユダノフがロココ趣味の老夫婦が家に入る時の心より更に不思議な情調に捉へられた。もう柳の間から水に映る燈が見られた。
 いろいろの人を訪ねたが誰にも會ふことが出來なかつた。其晩神戸に入つた。(三月二十九日神戸にて。)

 こつちへ來る前にHYと君の居る桶屋さんの家を訪ねたが生憎お留守で殘念であつた。その前にもひとりの人と三人で中澤弘光氏の工房を尋ねて、それから君の處へ行つたのである。
 京都見物の前に中澤さん
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