少女等は眞に京都的の 〔Ele'ments〕 である。而も其布局が昔の繪卷物の風俗畫を思はしめ、その思付が謠曲によくある物語の風(たとへば道成寺の前のシテの白拍子の後のシテなる――事實上は時間的に以前の――蛇を暗示するといふが如き)で直接歴史的風俗畫を避けて尚或情趣を添へるといふ點で更に意味あるものとしたのである。而も其純繪畫的觀相がまだ西洋臭いといふ對照があの繪をまた一層面白くしたのだと思ふ。
 今の京都の生活から、然し一枚の風俗畫を作り出さうとする場合には西洋人は缺く可からざる一要素であるといはねばならぬ。横濱神戸はさる事ながら、京都と異人とは、今はもう切つても切れない中となつたのである。
 三十三間堂の暗い中に數多き金色の觀音が立ち並んでゐる。天井の大きい燈籠がそこに定かならぬ光明の輪を畫いてゐる。『人皇は七十七代後白河天皇御建立、……千一體のうちに三萬三千三百三十三體の觀音樣が拜まれます』……と唄ふ案内の小僧のねむたい曲節《メロデイ》の中にも、色斑らな女異人の一行があまり似付かはしくもなく見えるのである。
 博物館で鎌倉から信長の時代へかけての色々の縁起物の繪卷物を見た。浮世繪に次いでは是等の風俗畫が大に予の心を喜ばしめる。如何なる時代でも平民の生活及びその藝術化ほど予の心を惹くものはない。
 大谷光瑞師の寄贈にかかるといふ、支那トルキスタン庫車内トングスバス發掘の塑像佛頭といふ土の首は予の心臟を破らむほどに美しかつた。(四月三日朝京都にて。)

 今、人と四條橋畔のレストオランに居る。都踊の始まるまでの時間を消す爲めに、一つには自ら動く勞なくして、向ふで動いて呉れる京都を觀る爲である。
 中には始めから二人の西洋人が居た。直ちに獨逸人であるといふ事のわかる重い發音で會話してゐる。それからその連れらしいのが二人來た。
 この背景としての窓の下の四條橋下の河原では、例のコバルト色に見える人の群が、ずらりと並べ干された友禪ムスリンを取込むのに忙殺せられて居る。
 面《おもて》の平でない玻璃《ガラス》の爲めに、水|淺葱《あさぎ》に金茶の模樣が陽炎を透かしての如くきらきらといかにも氣持よく見える。一列の布の上に、遙かに黒き、其輪郭は廣重的に正しい梅村(?)橋が横はつて居る。草はもう不愉快に日本的に黄ばんでるが、その側に、明紫灰色の小石の上に干された黄や紫や淺葱の模樣
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