情緒海のあなたを眺め入るやうに見えた。
「アイ、笈摺《おひずり》もな、兩親《ふたおや》のある子やゆゑ兩方は茜《あかね》染……」の一段になつて、予も始めて、はつと幻想の世界に落ち込んだやうな心持がした。今迄概念的に味はつて居た十郎兵衞住家の悲劇も、兩親があるから笈摺の兩縁が茜染だといふ特殊の事實の描寫が、阿片のやうに瞬間的に予の自覺を濁らしたと見える。手づから本物に觸るやうな藝術的實感を味はふ事が出來たのである。それから「からげも解かず、笈摺も掛けたなり」と云ふ處で、また小さいシヨツクを感じた。再びありありと、勞れ切つた小さい順禮のむすめが眠るといふ有樣が想像せられたのである。
折角の處だつたが時間の制限があるから外へ出たが、何か自分でも支配する事の出來ないやうな腹立たしさが湧いて居たのに氣が付いた。
その夜神戸に歸つて床に就いた後に、久し振で聽官の幻覺に襲はれた。つひぞ、かういふ事は十四五歳の後には味はつた事が無かつたのに、暗く交睫《まどろ》みつつある心の表に突然三味線が鳴り出したり御詠歌が聞えたりするのを、半ば無意識に聞くといふ事は、然し兎に角愉快な事であつた。(四月三日京都にて。)
急用が出來て今夜の急行で東京へ歸らねばならぬやうになつたのは尠からず殘念である。せめて今夜までの時間を京都で暮さうと思つて今朝この市《まち》に入つた。奈良、堺などはどうでも可いがもつと深く大阪を味はひたかつた。少くとも鴈治郎の藝を東京座の花道や猿之助との一座などでなく、大阪のあの舊式な劇場の空氣の中で見物したいものであつた。東京の芝居で見られない何者かをそこで搜しうるに相違ない。なんといつたつて上方の文明は三百年の江戸の都會教育よりずつと根柢が深いのであるから、大阪人は江戸東京人よりももつと人生といふことを知つてゐる筈だ、粹といふやうな言葉が江戸でなく上方で作られたのは偶然の事ではないだらう。
京都へ入つては先づ第一に停車場で坊主にあつた事を異樣に感じた。そこから四條へ出るまでに眞鍮の蝋燭臺を賣る暗い店、大牛、河の柳、數多き旅館及び古風の橋などが視感を動かした。是等の景物に寺、塔、舞子のだらり及び人力車上の西洋婦人などを加へれば、略京都の情景を想像することが出來る。
黒田清輝氏の「小督物語」は偶然路上に遭遇した人群から暗示を受けたといふが、僧侶、藝子及び舞子、嫖客、草刈の
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