フ幾列かの布との間に、一種の快き色彩の諧調を作り出して居る。河原の水際には澁紙で貼つた行李が二三箇積まれてある。そのそばで話しながら二三の人が仕事をして居る。或者は何かしらん齒車仕掛のものを頻りと※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]して居る。或者は黒いズボンのままで川へはひつて樺色の長い布を引摺出してくる。或者はまた懸け弔るした淺葱の友禪を外して二人で引張つては、それから互に相近づき、更に元より近く相離れ、更に復近づいて、かくて二つに疊まれたものは四つに、四つのものは八つに疊まれ十六に疊まれて石の上に置かれる。そして竿の間に張られた綱に隙間が生じて來ると川からの人が、更に色の變つたムスリンをだらりと弔るすのである。
京都や大阪の町、及びそこの形態的生活は友禪的に色斑らに、ちやうど抱一が畫いた菊の花瓣のやうに綺麗である。然しここの生活だけは乳金、代赭《たいしや》、群青《ぐんじやう》の外にエメロオド、ロオズマツダア等を納れ得るのである。あの布を干す二三人の群を目の粗いカン※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]スに取つたら嘸《さぞ》愉快の事だらう。
もとよりその外に祐信や清長の見方が出來る。祐信の繪本に、炬燵にあたつて居る女の傍に小鍋立のしてある繪があつた。門の外は降りつむ雪で、ちやうど男が傘をつぼめた所である――河沿ひの低い絃聲のする家の窓から河原の布晒を見るのは此の趣味であらう。然しかう云ふ事をかくと予自身に此|遊仙窟《ルパナアル》に對する憧憬があるやうに思はれて不利益である。“Olenti in fornice”はホラチウスの領分であるやうに「祇園册子」は吉井勇君の繩張である。
目の下に見える四條の橋を紹介しよう。「鴻臺」といふ酒薦の銘が大形に向河岸の屋根を蔽うてゐる。そこに赤い旗があつて白く「豐竹呂昇」と染め拔いてある。まだ燈の點かぬ仁丹がものものしげに屋根の上に立つ。欄干の電燈の丸い笠は滑石《タルク》の光澤で紫色に淀んで居る。その下を兵隊が通る。自動車、人力、荷車、田舍娘の一群が通る。合乘に二人乘つた舞子の髷が見える。かみさんの人が下女を連れて芝居の番附を澤山に手に持つてゐるのが通る。二人の女に、各一人の男が日傘を翳《さ》しかけてやつてゐるのが通る。あれは祇園の家々の軒を「ものもお、ものもお」と紙を配りながら大聲で誰とかはんのお妹はんが云々と呼んでゆ
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