は唯だ陸の船の上で節《せち》を祝ふに過ぎない。(正月三日[#「三日」は底本では「四日」])

 正月四日は坊さまの年頭廻りの日である。漁夫《れふし》の萬祝《まいはひ》とは違つたにぎやかな服裝が街《まち》のあちこちで見られた。
 始終動いて居て、而かも永久に不變なる大蒼海を後景として、金襴の法衣の僧侶の群を見るのは非常に愉快である。更らに兩者の間に町の歴史を結び付けて考へると、一味の――長篇小説の最終の頁を忍ばせる趣が出る。
 無知なりし昔の時代は幸福であつた。科學的知識を以つて教義を議し、阿頼耶識《あらやしき》を檢めようとするやうな時代は既に末世の事である。加持力《カトリツク》の儀典、行列から離れて、授戒會の儀式を離れて、而かも尚蒸々たる衆生は、神人を忘るる底の莊嚴なる醉《ゑひ》を、そも何れの經典から搜し出さうとする。
 日の暮れしがた、川に臨んだ浴室で晩鐘の聲を聞いた。官能の快感と冥想の甘味とが薄明と温泉の湯氣とを充たせる小さい室の中に溶けて行くのである。(正月四日)

 夕方二階の欄干《らんかん》から海を見下ろして居ると、海岸に連つた家々の屋根の上を汽船の檣だけが通つて居る所であ
前へ 次へ
全38ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 杢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング