の服裝であると頷かしめる。
是等の老少不同の雜然たる人の群がこの一樣の服裝で統一されてゐると云ふ 〔paralle'lisme〕 はちやうど若沖の群鷄圖と同じ意味で著しく視官に媚びるけれども、同時に人をして彼等を diminutif に觀察せしむるに至るのである。それ故いよいよ藝術的である。
遠くには海の青が見え、四周には冬の田圃、村里の傳説を有する山と森、生活しつつある市街の半面がある。そして街道の兩側には川、芝居小屋、料理屋、果物屋がある。その中を歩いてゆくこの二三十人の人の群を想像して見たまへ。
殊に子供の腰揚げが深く、辨財天、毘沙門天、布袋、福祿壽の腰から下が青縞《めく》の地にかくれて、裾と足とだけが見えるのは興が深い。
夜は水上の、燈あかるき船から船唄が聞えてきた。若し他郷の人の、此聲に慣れないものが聞いたならば、恐らくあれが人の聲の集りであるとは信じまい。實際それ程よく海の波の響に似かようて居るのである。
二日の朝乘り初めと云つて、夜の暗いのに船を沖に出して、釣絲を繋がぬ竿で鰹を釣るまねをするさうである。その話は幾年も幾年も聞いたから、もとはさうしたのであらう。近
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