B」
 と、その「さよな」といふ所から、揃つた聲の調子が急に下つて行くのを聞くのは、眞に悲哀の極みである。諸ろの日本俗謠の暗潮をなす所の一種の哀調が、亦此裡に聞き出されるからである。
 強ひて形容すれば、銅青石《アヅリツト》の溶けてなせるが如き冷き冬の夜の空氣の内に――その空氣は漁村の點々たる燈火をもにじませ、將た船の鐘の徒らに風に驚く響にさへ朗かなる金屬の音を含ませる程にも濃いのであるが――そのうちに、かの「やれこらさよな、やこらさのおさあ。」を聞かされるのであるから。
 それからまた船が出て行くのである。人と自然との靜かなる生活の間を、黒い大きな船が悠然として悲しき汽笛を後に殘して航行を始める。
 そのあとに、まだ耳鳴りのやうに殘つて居る謠《うた》の聲や人のさけびは、正に古酒「LEGENDE」の香ひにも、較ぶれは較ぶべきものであらう。(明治四十三年十二月二十九日伊豆伊東に於て)

 海濱に於ける人間の生活とそこの自然との交渉ほど、予等の興味を引く自然觀相の對象は蓋し鮮い。鹿兒島は久しく他郷と交通を謝絶して居たから其風物は甚だ珍らしいさうであるが、予は未だ漫遊の機を得ない。其他|天草
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