活焉u御神體」を崇め、それを喜ばすが爲めに行はれたのだと云ふ事を發見するに至る。そこで人の注意が此御神體の上に集るのである。
 鳥居を潜つて又一つ石段を登るとそこにまた鰹の幕や、蛭子の面で飾られた拜殿があつた。榊が立ち、提灯が弔るされる。一群の人は亦此の處に於ても堂内の一物に注視して居るのである。
 即ち新しき筵を敷いた神殿の床の上には、黄ろい綸子や藍の玉蟲の綾などの直衣を着た禰宜が色斑らに並ぶ。其側には脇差をさした漁夫が禮裝して坐る。此際予の氣付いた所によるに、黒羽二重などの羽織に大きな紋のついたのは可いが、下の着物は淺黄の辨慶とか、淺黄のあらい薩摩縞のやうなのが多かつた。親讓りの絲織の晴衣と云ふやうなものは固よりあつたが、まだ新しいのに年に似合はず、派手なのがあつたのである。かかる漁夫の眼に媚びるやぼな色や縞柄の着物を、少し窮屈に着て居るのを見てさへも、何か妙な哀深い心持になつた。
 而して是等の人は、一種の莊重なる儀式を以て御神體を御輿の中に移す。「今御輿へ魂を移したぞ」といふ私語が子供等のうちに擴まる。で皆な感動したらしい顏付をする。
 神秘――昔から今に懸けて地上のあらゆる人々の求めあかした者はそれでは無いか。原子分子の假説で宇宙の規律のやや整然と説明されさうになると、人々は驚いて新なる不可思議を求める。そして新に發見した電子といふ鍵で第二の扉を開けようと努力する。宗教藝術は勿論の事であるが、一見 niladmirali に見える朴訥なる科學も亦人間の世界に神秘を餘計にしようと努力するやうに見えるのである。所で予は此魂移しの儀式に於て、あまりに手輕に神秘《ミスチツク》を求め得て、それで滿足した昔の人の寛濶を思うてほほ笑まずには居られなかつたのである。魂移しが濟むと突然鐵砲がなる。
「え、どつこい、どつこい」
「そおらああ……」
 と、ちやうど唄の應答の半であつた踊の人々は驚いて踊を休めてかたまる。坂下では子供等がけたたましく法螺の貝を吹き出す。三十人許りの壯者に擔がれた神輿は拜殿前の石段を下つて鳥居の下の廣場に出る。群集が道を開《あ》ける。赤、緑、黄色の旗がゆらゆらと動き初める。
 御輿は崖の上の狹い平地に出た。そして蹌踉《よろ》け出した。年老いたる二三の漁夫は心配さうに小走りに走つて往つて、この暴れる神體を宥めようとした。
「ぶうぢやつかん、ぢやつかん、ぢやつかん」と云ふ言葉がある。子供等の言ひなせる擬音の言葉である。ぶうといふのは法螺の貝の音である。ぢやつかん、ぢやつかんとは御輿に飾る珠や風鐸の響を模したのであらう。そのやうに今も神輿がゆれながら響いたのである。
 高い坂の上から狹い街路を下瞰して居ると、今しも坂を下つた御輿が屋根と屋根との間に現はれた所である。法螺の貝はものものしげに鳴る。而して幾度か止まり幾度か蹌踉《よろめ》いて、子供等の小さい胸を痛ましめた神輿は、突然何か思ひ付いたやうに細い道を東の方に驅つて行つた。
 山腹の石の鳥居、その下は直ぐ崖で、海に沿ふ家の屋根が見える。そこに青い海面から拔けて白の幟が立つ。而して水平線の彼方には房總の山が眠る。この光景は既になつかしい廣重の情調である。而してこの種の情調の中に、凡てを破壞する現代文明の波にも破られずに、尚能く昔の面影を止むる祭典及び其他の年中行事を殘して居ると云ふ事はめづらしい事である。實際はこの鹿島踊の如きも必しも珍らしいものでは無いかも知れぬ。香取、鹿島の兩社は遠く藤原氏の時代から勢力のあつた社で、その末社も少くはないだらう。隨つて鹿島踊、鹿島の事つげ、船唄の類もまだ全國の諸所に殘つて居るかも知れないが、然し盆踊はつい近頃まではあんなに盛であつたのが、今は殆ど全廢してしまつた。此種の祭典もやがて遠からず無くなつてしまふのだらう。だから予も冗漫を厭はずに目に見た所をそのまま書き付けようと思つたのである。
 それから予等は神輿の跡は追及しないで、後にその着く可き海岸で待つて居た。をととし見て覺えて居る所では、やはりそこに踊がもう一度あつて、それから裸體の男が三十人許りで御輿と人々とを船に乘せるのであつた。
 やがてそれも濟んだと見えて、岸に繋いであつた船が動き出した。怪しい人のどよもしが遠くから聞えて來る。船には各二本の竹竿を立て、それに燈籠と幟とを付け、數條の造花をしだらした。この二艘の主な船を中心にして、其他四五艘の小さい船がそれを取り卷く。また別に一艘、彩色を施した彫物の屋臺で飾つた、俗に「御船《おふね》」といふ船がある。それには舳の所に肩衣を付け大小を差した人が坐つてゐる。
 是等の船が動き出して、艪を漕ぐ人の姿は見えるけれども船は中々に近よらぬ。こなたの海岸には見物の群が増してはや五六百の人を數へられるやうになつた。陸に揚げてある多くの船
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