ヘ是等の人々によつて占領された。海岸に立つ二階屋の窓には女子供、新しき※[#「女+息」、第4水準2−5−70]《よめ》――さう云ふ人達が首を出す。而して實際こんな狹い町では何處《どこ》の誰が何處に居ると云ふ事が愉快なる穿鑿の種になり、それが歸宅の後家人に告げられると、女達の夜の爐邊の話題を賑かし、それからそれへの穿鑿が更に人の家の親類縁者の事に移り、かくて話はやうやう一つ前の人一代《ジエネラシオン》に飛ぶ。そして遂に日常の話に物語の情調を添へるに至るのである。
 陸の船の上にまた二人の漁夫の子が乘つて居た。その一人は羨ましさうに他《ほか》の子の持つ二つの小さい薄荷水の罎を諦視《みつ》めて居た。遂には彼はそれを要求するに至つた。そこで小さい爭が始まる。然し結局兄と見えた一人が一本を配ち與へる事に極まつた。が、與へるその前に罎中の大半の靈液《ネクタアル》は傾け盡されたのである。此 〔e'pisode〕 も亦、待ちに待つて退屈しきつた人々には恰好な笑艸であつた。けれども一罎を貰ひ得た本人は多少の物議の末に、はや甘んじて、もう勿體なささうに罎の口を嘗め出したのである。
 船唄と鹿島歌との掛合の間に、「え、どつこい、どつこい」と云ふ refrain で金剛杖で船の板をうつ拍子が明かに聞えて來て、こなたの濱も色めき出した。即ち二人の若者は勢よく着物を脱いで女達に渡し、それから海を清む可く、藻屑を浚ふ可く冷い海水の中に飛び込んだ。そこで輕い感動が見物の間に現はれて來る。單に儀式とは見えない眞面目を以てこの二人の男は海の中を驅け廻る。祭典の遊戲的活動は愈※[#二の字点、1−2−22]まじめなものに鍍金されてしまふ。Lipps の自己投入の説では無いけれども、見物さへも自《みづか》ら海に入つた時のやうな筋肉の緊張を覺えて、隨つて、御船を待つ心は愈※[#二の字点、1−2−22]切になる。御輿の魂は六百の見物に乘り移つたのである。
 然し此場の situation の面白さは予が立つ處より、寧ろかの二階の窓から見たものの方が優れて居るだらう。明け放つた後景の窓のあなたには暗示的な青い海が見える。その方を眺めながら八九人の女子供の群が立つ。時々下の方から騷がしいざんざめきが聞える。もしその内の一人の女が、下の出來事の經過を Hofmannsthal ばりの美しい言葉で語つたら一篇の戲曲が出來るかも知れない。
 船の船唄も明かになる。それを唄ふ人の顏も讀めて來る。白い直衣の禰宜が渚に立つて遙拜する。忽ち四五十人の若者が裸體《はだか》になつて海に飛び込む。或人は神輿にかかる。他の人は一人一人鹿島踊の人を背に乘せて渚に運んでやる。それを肩に取る樣も異樣で、いきなり、ぐつと胸倉を掴んでかつぐ。すると背の人は枚を喞んで、幣束樂器の類を持つた左の手を前に突き出してよいよいと叫ぶ。暫時はよい、よい、そりや、と叫ぶ聲で渚がふさがる。小さい法螺の貝を持つ兒童までが同じ型をする。榊を外す、それを受取る。海の波に色々の彩文がうつる。既に渚に上つた子供は法蝶の貝を吹く。――それらの事が濟むと復踊が始まるのである。
 船唄及び鹿島踊の事に關しては予は何の知識をも持つて居ない。二三の人にも尋ねて見たが分らなかつた。敢てそれを窮めようと云ふ氣もなかつたから其儘にした。唯予がこの種の人間活動に就いて愉快に感ずる所は、昔の人の生活が藝術的であつた事である。神社と云ふものがあり、その内の神を祭ると云ふので目的が神秘に化せられる。天平勝寶の昔に貴人より庶民に至るまで、形にせられたる人心の象徴たる大佛に禮拜したと同じ意味である。嚴格なる老幼の序、階級、制度等に對する不平や反抗も凡て此の神秘《ミスチツク》が融解したのである。たとへ人間の知を求める心は凡て不可解を闡明し、思想の不純を澄まさなければ休まないとした所で、然し一方には亦新しい神秘がなくては滿足が出來ないやうにも見える。實は今朝小學校の廣場で消防組の若衆たちの稽古を見た。中隊若しくは大隊教練であつて、其嚮導を務める人は在郷軍人である。人間はどうしても共同の活動を要求するのであるから、昔の馬鹿氣たお祭の遊戲に比して此の種の有目的の文化的行爲は贊成するに足るのであるが、其の目的が、明かであればあるだけ、信仰及び獻身の心持がなくなるのは止むを得ない。
 軍國主義の外に衆生の心を統一せしむるに足る巨大なる磁石はどこに求められるだらうか。(同日夜)

 夜、一種の好奇心からちよつと芝居小屋を覗いて見た。この海邊の小さい町の人々が如何なる遊樂を求めるかをも知りたいと思つたのであつたが、別に珍らしい發見もしなかつた。特殊の事もなかつたからである。今の樣な交通の便利の時に、東京から遠くない所にさう云ふ者を求めると云ふ事は第一無理であるが、然し舞臺と見物
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