つ》の代りに西洋の窮理を説いた時があつたといふ事である。予の眼にはその時代の人々の姿がまだありありと殘つてゐる。そして古い文庫ぐらに其時の遺物を搜し出す心持は一種特別である。「横濱へ通ふ蒸氣は千枚張りの共車この家《や》へ通ふは人力車《りんりきしや》」の其頃は多少 exotiqeque であつた甚句の歌と共に、純然たる昔の風俗並びに歌謠の殘つて居た時の事がどうかして鮮明に思ひ浮べられる時は、涙も催さむ許りに悲しくなる事がある。
 もと押送りに乘つて東京通ひをして、仕切も取り勘定も濟ました後の早朝出帆に、檣を立てる唄で靈岸島の岸の人を泣かしたといふ船頭も尚生きて居るけれども、もう唄も覺えて居ない。
 子供等もおしろおしろの白木屋の才三さん、丈八ッさんと云ふやうな毯唄は歌はぬ。其代り幸ひにそんな唄を今きくと、聯想は朦朧たる過去の世界を開いてくれる。
 然しそれから尚聯想を追究してゆくとかう云ふ世界が段々と崩された迹が思ひ出される。其中にも尤も深く予に印象を與へたものは此町に耶蘇教の入《はひ》つて來た沿革である。初めは小さい家に日曜日の夜々赤い十字の提灯が點された。それが廢れた頃怪しい一人の男が突然まだ寂しかつた頃の此郷に來て、毎夜十字街に立つて説教したのである。それは西洋から歸つて來たこの郷の人であつた。後に其人の新しい、感情的な人格はこの一郷の多くの青年に深い感化を與へた。
 さう云ふ風な事を思ひ出しながら今の状態に思ひ比べて見ると、十年十五年の間にもいろんな世相の變遷がある。と、考へると同時に何《なん》か自分の背後に強大なる力が隱れて居るやうに思はれる。
 それからまた暗い海へ出て、恣《ほしいまま》な冥想に耽つたのである。
[#ここから2字下げ]
夕暮れがたの濱へ出て
二上り節をうたへば、
昔もかく人の歌ひ※[#「候」のくずし字、383−上−22]と
よぼよぼの盲目《めくら》がいうた。
さても昔も今にかはらぬ
人の心のつらさ、懷《なつか》しさ、悲しさ。
磯の石垣に
薄紅《うすくれなゐ》の石竹の花が咲いた。[#地付き](同日深更)
[#ここで字下げ終わり]

 昨夜《ゆうべ》は空が眞黒《まつくろ》であつたが、今朝六時半に起きた時も亦冬とは云ひながらあまり暗かつた。それでも日の出る頃には曇つた空が段々と明るくなる。そこへ遠くで汽笛がなる。
 汽船宿には派手な縞の外套を小脇
前へ 次へ
全19ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 杢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング