とは非常に親密である。いやな敵役には蜜柑の皮が抛られる。花道は子供等の群に占領せられて居て、揚幕があいて松前五郎兵衞の女房が出て來ると途中で思入れをする場所を作る爲めに、小さい聲で先づ子供等を叱らなければならぬ。そこでわらわらと子供等が逃げ出す。
汚い淺黄の着物をきた五郎兵衞が拷問にかけられて醜い顏をする。粗末な二重舞臺の上では役人が手習でもするやうな大きな字で口供を取つてゐる。かう云ふ所から藝術の幻影郷を抽き出すには隨分無理な 〔e'limination〕 をしなければなるまいと思ふが、見物は一向平氣で見とれて居るのである。然し此地《ここ》も東京と同じく、三十未滿の人達は松前五郎兵衞は愚か、もう白井權八、鈴木主水、梅川忠兵衞なんぞの傳説、及び其藝術的感情とは全く沒交渉であるからして、隙つぶしといふ外に大して面白くもなささうに、偏に鮨や蜜柑を食べてゐるのである。彼等の遊樂、戀愛乃至放蕩は全く數學的だ。よし Rhythme はあつても 〔Me'lodie〕 はない。少くとも二十年前には、良い事か惡い事か知らないが、まだ民間に音樂といふものがあつたのである。
それでも四十恰好の、少しは鼻唄でも歌ひさうな男が、時々取つて付けたやうに「よい、チヨボ、チヨボ」などと呼んで居た。その内に色々の商家の名を染めた汚い幕が引かれる。するとどやどやと子供等が飛び出して幕の中へ首を突き込んで、引いて行く役者を見送るのである。
不快になつて小屋を出て、暇乞にと縁者を訪ねた。そして偶然人一代前の世の話が出て面白かつた。其内容が餘りに特殊で、事に關與した人や、乃至それらの人の運命を知つた者でなければ興味がないから、報告する事は止める。唯然し君とてもかういふ想像はする事が出來るだらう。即ち東京からさう遠くない港へ、押送り、乃至珍らしい蒸氣船で、「窮理問答」「世界膝栗毛」「學問のすすめ」「倭國字西洋文庫」と云つたやうな本がはひつて、本棚の「當世女房氣質」「北雪美談」を驅逐し、英山等の華魁《おいらん》繪、豐國、國貞等の役者の似顏、國滿が吉原花盛の浮繪《うきゑ》などの卷物の尾《しり》に芳虎の『英吉利國』の畫、清親が「東京名所圖」其他「無類絶妙英國役館圖」「第一國立銀行五階造」の圖などが繼ぎ足され、獵虎帽の年寄りが太陽は無數に西の海底にたまり、地の下の大鯰が地震を起すなどといふ須彌山説《しゆみせんせ
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