閧烽ネき憧憬の念に滿された。若しも自分の戀人がああして遠く去つてゆくのを見たならば、きつと人はこがれ死《じに》に死んでしまふに相違ない。」と書いてある。今も昔も人の心に變りはないと思はれる。
予が窓下に、昔讀んだ事があるといふ記憶を唯一のたよりに、かの紀行の内からやうやうこの頁を搜しあてた頃には、既に海は暗く、向《さ》きの船影は既に見る可からざるに至つた。旅行記の面白さは、例へば陸游が入蜀記の土地の景物を舒し舊址を弔ふ文などの末に、晩に大風となり船人纜を増すとか、夜|雨《あめふ》るとか、蚊が多くて、始めて復た※[#「巾+廚」、第4水準2−12−1]を設けたとかいふ短い言葉で、唯時の關係より外には全く聯絡のない事を書いてあるので、却つて躍然と旅中の趣が目前に彷彿たるに至ると同じく、ゲエテの上記の感傷的な記述の直ぐ次の行には、今は巽風《シロツコ》が出たから、是れが強くなつたらモロの邊の波は一入興深い事だらうなどと書いてあるから、如何にもこの詩人の多情な性格と南歐の風物とがよく見えるのである。
閑話休題《あだしごとはさておき》、松浦佐用姫、鬼界が島の俊寛などの物語にも同じ心持がはひつて居るが、行くと來るとの別れこそあれ、「沖の暗いのに白帆が見える。」の歌は俗謠の絶唱であると思ふ。それに比べると「蒸氣や出てゆく、煙は殘る」の歌は少し下品だ。が、然し尚ほ生活と歌謠との間に密接なる關係のある事は近頃の唱歌に優る事萬々である。(一月五日夜)
やや大きい額の中央に、ほんの形を現はすと云ふまでに鰹船の畫がかいてある。木の板の上へ、漆喰に混ぜた繪の具で厚くでこでこと盛り上げられて居る。船には二三十人の木偶《でく》の坊が紺色の繪の具で並列せしめられた。そしてそれらの人の中から十幾本かの釣竿が立つて居るのである。それが不器用な垂直線になつて並立してゐるが、その一つ一つの釣絲の先きに鰹がくつついて居る。船の舳の所に二つの白い鳥が浮いて居る。一群の鴎は、聲をも想像させる位に船の後ろに飛び亂れて居る。水平線は高い。そこには岩石から成る島があつて、島影から朝日が出懸けて居る所である。額の上部には大きく「奉納」と書いてある。明治四十一年寅季秋の奉獻に係るのである。
同じ構圖のがも一枚ある。それに小さい島の代りに水平線に盛に噴煙しつつある大島が畫かれて居た。で船の下の波の中には、何れも釣竿の
前へ
次へ
全19ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
木下 杢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング