は唯だ陸の船の上で節《せち》を祝ふに過ぎない。(正月三日[#「三日」は底本では「四日」])

 正月四日は坊さまの年頭廻りの日である。漁夫《れふし》の萬祝《まいはひ》とは違つたにぎやかな服裝が街《まち》のあちこちで見られた。
 始終動いて居て、而かも永久に不變なる大蒼海を後景として、金襴の法衣の僧侶の群を見るのは非常に愉快である。更らに兩者の間に町の歴史を結び付けて考へると、一味の――長篇小説の最終の頁を忍ばせる趣が出る。
 無知なりし昔の時代は幸福であつた。科學的知識を以つて教義を議し、阿頼耶識《あらやしき》を檢めようとするやうな時代は既に末世の事である。加持力《カトリツク》の儀典、行列から離れて、授戒會の儀式を離れて、而かも尚蒸々たる衆生は、神人を忘るる底の莊嚴なる醉《ゑひ》を、そも何れの經典から搜し出さうとする。
 日の暮れしがた、川に臨んだ浴室で晩鐘の聲を聞いた。官能の快感と冥想の甘味とが薄明と温泉の湯氣とを充たせる小さい室の中に溶けて行くのである。(正月四日)

 夕方二階の欄干《らんかん》から海を見下ろして居ると、海岸に連つた家々の屋根の上を汽船の檣だけが通つて居る所であつた。家が途切れた時大きい船の腹が見えたが、ちやうど強い夕日に照り付けられたのであるから、黒のペンキは怪しい褐色に光り、殊に赤い窓の扉はきらきらと事々しく輝いて居た。甲板上の船客も亦一々分明に見わけられたが、知らぬ人の旅ながら、出て行くものを見送るのは何となく心さびしい。少時《しばらく》の間に船は遠くなるのである。さうすると、とろりとろりと最後の笛を鳴らす。水平に近《ちかづ》く頃には、ちやうど八月の青草の中に一つ開いた落花生の花のやうな黄ろい燈をともしたのである。
 千七百八十七年三月二日ナポリにてとある日附のゲエテが伊太利亞紀行の中にも同じ心持が書いてある。「海及び船舶も此地に於ては亦全く別種の面目を呈して居る。」といふ當り前の書き出しから、前日強い北風《トラモンタアネ》に送られてパレルモに向けて航行したる弗列戛艇《フレガツテエ》の事を報じ、「かの風なれば今度の航海には三十六時間以上はかからないだらう」と推察を下したりなどして居る。「かの艦の滿々と風を孕んだ帆がカプリとミネル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の岬との間を走り、遂に何方ともなく姿をかくしたのを見送つた時、予の心は限
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