けれども、彼女が一日学校に見えなかったりした時に、森本先生は、辰子の後から声をかけた。
『病気だったの、お家の人によろしくね。』
 彼女は、黙ってうつむいてお辞儀をした。そして自分を侮辱した。この頃時々「あまりいゝ人ぢゃない」。といふやうな、考へに捕へられたことを思出すからであった。
 けれども、彼女は非常にうれしかった。森本先生が一|言《こと》彼女に向って、言葉をかけたことによって、彼女は安心して、森本先生の優しさと善い人であるといふことを、信ずることが出来たからであった。彼女は、その時誰れかにその嬉しさを話したくってならなかった。けれどもその嬉しさを共有することの出来るものは、恐らく誰れもなかったであらう。
 辰子は、一年近い月日を、只一人心のなかに森本先生のことについて、気づかひ悲しみひそかによろこんで暮した。「早く早く、学校をよして、私の家に来て下されゝばいゝ。」それが、彼女の希望であった。
 森本先生は、一年たゝないうちに学校をよした。そして、まもなく彼女の家に来たけれども、親しむ間もなく彼女の兄と共に、南の方へ旅立った。
 辰子は、学校を出た。辰子の周囲は、ひろくなった。辰
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