そして今まで辰子の前で森本先生の悪口を云った友だちも、驚いたやうにそれをさけた。辰子はそれからひそかに、只一人教室の出入りをした。そして、辰子がなにげなく、友だちの方に歩いて行く時、必ずそれ等の友だちの話しは中止されてゐた。
 辰子は、そういふ時、かなしみに堪へないで黙って引かへした。そして、誰れを恨んでいゝかわからなかった。勿論、森本先生を自分のかなしみに対して恨む気には、なれなかった。森本[#「森本」は底本では「森田」と誤植]先生は、けっして悪い人ではないと思ったからだ。
 けれども、彼女は森本先生が自分の方の、学校につとめた事を悲しんで、自分の方の学校にさへつとめなければ、うれしい時が過されたらうし、お友だちとも気がゝりなしに、親しんでゐられたに相違ない。
 彼女は、よく一人でかなしみながら、静かに廊下を歩いた。誰れかゞ言葉をかけたならその人にすっかり、すがってしまひたいやうな心で歩いた。そんな時、思ひがけなく森本先生に逢って、辰子は思はず赤い顔をした。そして微笑する間もなく、森本先生は黙ってゆき過ぎてしまふので、彼女は堪えがたく自分を哀れに思っては、そっと涙をふいたりした。
 けれども、彼女が一日学校に見えなかったりした時に、森本先生は、辰子の後から声をかけた。
『病気だったの、お家の人によろしくね。』
 彼女は、黙ってうつむいてお辞儀をした。そして自分を侮辱した。この頃時々「あまりいゝ人ぢゃない」。といふやうな、考へに捕へられたことを思出すからであった。
 けれども、彼女は非常にうれしかった。森本先生が一|言《こと》彼女に向って、言葉をかけたことによって、彼女は安心して、森本先生の優しさと善い人であるといふことを、信ずることが出来たからであった。彼女は、その時誰れかにその嬉しさを話したくってならなかった。けれどもその嬉しさを共有することの出来るものは、恐らく誰れもなかったであらう。
 辰子は、一年近い月日を、只一人心のなかに森本先生のことについて、気づかひ悲しみひそかによろこんで暮した。「早く早く、学校をよして、私の家に来て下されゝばいゝ。」それが、彼女の希望であった。
 森本先生は、一年たゝないうちに学校をよした。そして、まもなく彼女の家に来たけれども、親しむ間もなく彼女の兄と共に、南の方へ旅立った。
 辰子は、学校を出た。辰子の周囲は、ひろくなった。辰
前へ 次へ
全8ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
素木 しづ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング