れ》も、あの市來知《いちぎしり》にある、野菊《のぎく》の咲《さ》いてる母親《マザー》の墓《はか》にだけは行《ゆ》きたいと思《おも》つてゐる。本當《ほんたう》に市來知《いちぎしり》はいゝ所《ところ》だからなあ。』
彼《かれ》は、彼自身《かれじしん》の足跡《あしあと》をふりかへつて靜《しづ》かに嘆息《たんそく》するやうに云《い》つた。
二人《ふたり》のこんな話《はな》しは、いつまでたつてもつきなかつた、彼女《かれ》の云《い》ふ山《やま》や川《かは》や木《き》が、彼《かれ》の眼《め》にすぐに感《かん》じられ。彼《かれ》のいふ空《そら》や草《くさ》や建物《たてもの》は、彼女《かれ》の心《こゝろ》にすぐ氣《き》づいて思浮《おもひうか》べることが出來《でき》るからであつた。もしも二人《ふたり》がはなればなれの見《み》も知《し》らない土地《とち》に生《お》ひ立《だ》つたとしたらどうであつたらう。まち子《こ》は、そんな事《こと》を、またふと考《かんが》へると、幸福《しあはせ》なやうな氣《き》がすることもあつた。
そんな事《こと》を、あまり熱心《ねつしん》に、そして感傷的《かんしやうてき》に話《はな》し合《あ》つたのちは、二人《ふたり》とも過去《くわこ》の山《やま》や川《かは》にその心《こゝろ》を吸《す》いとられたやうに、ぽかんとしてゐた。お互《たがひ》になんとなくつまらない、とりとめもない不安《ふあん》と遣瀬《やるせ》なさが、空虚《くうきよ》な心《こゝろ》を包《つゝ》んでゐるやうであつた。二人《ふたり》は家《いへ》にゐることが淋《さび》しく、夜《よる》になつて寢《ね》ることがものたりなかつた。
『外《そと》に出《で》てみないか。』
『えゝ、家《いへ》にゐてもつまらないわね。』
そして彼《かれ》と彼女《かれ》とは、子供《こども》を抱《だ》いて家《いへ》を出《で》るのであつた。けれども、どこと云《い》つてあてもないので、二人《ふたり》はやはり電車《でんしや》にのつて銀座《ぎんざ》に出《で》てしまつた。
末男《すゑを》は子供《こども》を抱《だ》きながら、まち子《こ》と一|所《しよ》に銀座《ぎんざ》の明《あか》るい飾窓《かざりまど》の前《まへ》に立《た》つて、星《ほし》の見《み》える蒼空《あをそら》に、すき透《とほ》るやうに見《み》える柳《やなぎ》の葉《は》を見《み》つめた。そし
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