自分《じぶん》の心《こゝろ》を思出《おもひだ》したのであつた。[#「あつた。」は底本では「あつた」]まち子《こ》の足《あし》は、十六の終《をは》り頃《ころ》から人《ひと》なみに座《すは》ることが出來《でき》なかつた。なんといふ病《やまひ》やらも知《し》らない、度々《たび/″\》病院《びやうゐん》に通《かよ》つたけれども、いつも、おなじやうな漠然《ばくぜん》としたことばかり云《い》はれて居《ゐ》る。身體《からだ》が弱《よは》い爲《た》めだから營養《えいやう》をよくすること、足《あし》の膝關節《しつくわんせつ》が痛《いた》かつたら罨法《あんはふ》をするといふ事《こと》であつた。彼女《かれ》は別《べつ》に身體《からだ》の元氣《げんき》はかはらなかつたので、學校《がくかう》に通《かよ》つて歸《かへ》つて來《く》ると一人《ひとり》で罨法《あんはふ》をした。別《べつ》に特別《とくべつ》痛《いた》むわけでもなく外面《ぐわいめん》からも右足《うそく》の膝關節《しつくわんせつ》は、なんの異常《いじやう》もなかつたのであるけれども、自由《じいう》に曲折《きよくせつ》が出來《でき》ない爲《た》めに、學校《がくかう》では作法《さはふ》と體操《たいさう》を休《やす》まなければならなかつた。
けれどもまち子《こ》は必《かなら》ずしも癒《なを》らないとは思《おも》はなかつた。そしてどうかして早《はや》くなほしたいといつも考《かんが》へてた。そして自分《じぶん》の部屋《へや》に入《はひ》ると、古《ふる》びた青《あを》いビロードの椅子《いす》に腰《こし》をおろして、その膝《ひざ》をもんだり、痛《いた》さをこらへて少《すこ》しでも折《を》り曲《ま》げやうとしたり、または罨法《あんはふ》してそつとのばしたり等《など》した。そしてまち子《こ》は自分《じぶん》が何《なん》の爲《た》めに、いつとも知《し》れずこんな足《あし》になつたのだらうか、といふ事《こと》を考《かんが》へてると、いつの間《ま》にか涙《なみだ》が浮《うか》んで來《き》てならなかつた。
まち子《こ》は、ふと昔《むかし》のことを考《かんが》へると、なんとなく自分《じぶん》の身《み》が急《きふ》にいとしいものゝやうに思《おも》はれて、そのいとしいものをかい抱《いだ》くやうに身《み》をすくめた。
まち子《こ》は、いつも窓《まど》に向《む》いて
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