椅子《いす》に腰《こし》をおろしてゐた。その四|角《かく》な彼女《かれ》が向《む》いてる硝子窓《がらすまど》からは、黄色《きいろ》い落葉松《からまつ》の林《はやし》や、紫色《むらさきいろ》の藻岩山《さうがんざん》が見《み》えて、いつもまち子《こ》が腰《こし》をおろして涙《なみだ》ぐむ時《とき》は、黄昏《たそがれ》の夕日《ゆふひ》のおちる時《とき》で硝子窓《がらすまど》が赤《あか》くそまつてゐた。まち子《こ》は、涙《なみだ》が浮《うか》んで來《く》ると、そつと瞳《ひとみ》を閉《と》ぢた。そして、いつまでもじつとしてゐた。初《はじ》めは、兄妹《きやうだい》たちの聲《こゑ》が隣《となり》の室《しつ》から聞《きこ》えて來《き》た。そして彼女《かれ》は悲《かな》しかつた。けれどもだんだん何《なに》も聞《きこ》えなくなつていつの間《ま》にか彼女《かれ》は、無《む》にゐることを覺《おぼ》えるやうになつたのであつた。
まち子《こ》は、その時《とき》その足《あし》の爲《た》めに未來《みらい》がどうなるかとも考《かんが》へなかつた。自分《じぶん》がその足《あし》の爲《た》めに世《よ》の中《なか》にどんな心持《こゝろもち》で生《い》きなければならないかと、いふ事《こと》も考《かんが》へなかつた。只《たゞ》、その時《とき》知《し》つたのは自分《じぶん》の心《こゝろ》の自分《じぶん》の肉體《にくたい》の限《かぎ》りない淋《さび》しさであつた。
自分《じぶん》の病氣《びやうき》はその後《ご》上京《じやうきやう》して、すぐに結核性《けつかくせい》の關節炎《くわんせつえん》だといふ事《こと》がわかつたのだと、まち子《こ》は、ふと夫《をつと》の顏《かほ》を見《み》ながら考《かんが》へた。その時《とき》、まち子《こ》はもはや起《お》き上《あが》ることが出來《でき》なかつた。そして切斷《せつだん》して松葉杖《まつばづゑ》をつく身《み》になつたのである。まだ若《わか》い十八の年《とし》に、彼女《かれ》は、淋《さび》しい昔戀《むかしこひ》しいやうな心持《こゝろもち》になつて、もしも自分《じぶん》が松葉杖《まつばづゑ》をつかない壯健《そうけん》な女《をんな》であつたならば、自分《じぶん》の運命《うんめい》はどうなつたであらうかと考《かんが》へた。いまとおなじ生活《せいくわつ》をしてゐるであらうか。
『默《
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