へ押しやった。
 お葉の眼には淡い幕がかゝったやうに、すべての物がはっきりと見えない。睫毛《まつげ》は乾いて涙の露も宿ってないのだけれども、すべての物が茫とうるんで見える。
 母親はそっとベッドの前を通りぬけた。そしてドアを押して廊下に出た。足音がバタバタと遠ざかって聞える。
 彼女は、目の前に黒い影をチラと見たまゝ、又瞳は自然に閉ぢられて行った。そしてまた彼女の弾力のない瞳が細く開かれた時、また黒い影がチラとベッドの前を通った。けれども呼び止めようとは思はなかった。
 母親は、うす暗い廊下を、自分の草履の音にせき立てられて便所《はばかり》に行ったが、月の光が彼女の心をかきむしるやうに、窓の外にさえて居た。そして親子の本能の愛が、彼女を土の中にうづめなければならないやうに思った。
 母親は、小走に帰って来たが、静かにドアをあけ、はゞかるやうにお葉の方を見ながら、ベッドの前を通りぬけて、夜具のなかに顔をうづめた。
 お葉は、また目を開いた。時は一刻も動かないやうに見えた。そして同じ夜であると思った時、彼女の瞳はさぐるやうな不安に動いて、また母親を呼んだ。いま彼女の心には、母より以外にすが
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