するのであった。すると、側の一人は必ず、お葉が目を見はって、熱心に聞いてるのを見て、
『およしなさい。そんな事は、みんなみんな嘘なんです。』と言って止めた。けれども、彼女は、肉を切って、骨をのこぎり[#「のこぎり」に傍点]で引いて、皮を縫ひ合せて、と考へて見たけれども、どうしてもそれが人間の生きた肉体に行はれるものぢゃないと思った。
 さうしてるうちに、お葉の歩くべき日が来た。
『さ、今日は少し歩く稽古をしませうね。』
 けれども、彼女はどうしても恐ろしくって、ベッドの下に足を降すことが出来なかった。
『あ、草履を持って来ませうね、一寸《ちょいと》おまちなさい。』
 看護婦が急いで行って、一足の紅緒《べにを》の草履を足元にそろへた。お葉は、慄へながら血気《ちのけ》のないやうな、白い死んだやうな片足をそっと降した。
『まあ、片方《かたっぽ》でよかったのに、私もよっぽど馬鹿な――。』
 草履を持って来た看護婦が、その時大声で笑った。彼女は恐ろしさに慄へながら茫然とその女の顔を見た。その時、室内の日が急にかげって、すべてが淡暗く物悲しく見えた。どうして自分が床の上に立上るなんていふ事が出来よう。彼女の足は、ベッドから垂れて、ぶる/\とふるへてゐた。
『さ、私につかまって立ってごらんなさい。かうして、杖を両脇にはさんで、』
 彼女は杖をしっかりつかんだ。そして立上ったけれども、看護婦のおさへた手が少しでもゆるむと、浮草のやうにくら/\と動いて、眼は夢のなかのやうに物事をはっきり見ることが出来なかった。
『さうして、一寸、一寸、飛ぶんですよ、しっかりつかまへて上げますからね。』
 彼女は、さういふ看護婦を恐れた。飛ばなきゃならないと思ふけれども、どうして足を浮かしていゝものやら、彼女は足の運び方を、すっかり忘れてゐた。そして、やうやくはっと飛んだと思った時には、わづか彼女の足元は一寸《いっすん》位しか動いてゐなかった。
 お葉は、床の上に丁字杖を持ったまゝ天地に頼りないものゝやうに涙ぐんだ。歩くといふ事が、これ丈悲しい恐ろしい頼りないものとは思はなかった。ベッドの上に、早くベッドの上に自分の身体を毛布のなかにつゝんでしまひたい。看護婦は、彼女をひきずるやうにして、漸く窓ぶちにつれて行った。わづか一間《いっけん》、それがお葉には海山の隔りのやうにも思へた。初めて窓から空を見た時
前へ 次へ
全18ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
素木 しづ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング