あまりに短時間内に幾度も目をさました時には、もうこの暗い夜が再び明けないのぢゃないかと恐れながら、白く垂れ下ったカーテンの奥に目をすゑて、しのびやかに訪れて来る暁の足音を聞かうとした。
 カラ、カラ、……カラカラ、……カラ……カラ彼女は、そしてこの音を遠くの闇の中から見出した時、もはや暁が近いと、断定する事を※[#「※」は「足偏+寿」、53−12]躇しなかった。車の音だ。それは確かに車の音だ。あけぼのゝ白ずんだ空の淋しい道を静かに、カラ、カラカラ……と車の音も絶え/″\に幾台かつらなった車の音だ。お葉は真暗な夜のなかに、両手を胸の上に置いて、車の音を聞いた。
 そして、はやく看護婦が、カーテンを巻き上げてくれゝばいゝと思ひながら、朝の冷たい白い清らかな空気が、自分の蒸されたやうな頬をつたひ、静かにねばりついたやうな生際《はえぎは》の毛をゆるがす嬉しさを考へた。彼女は、それから、夜中に目覚めて暁をまつ毎に、その音を聞いた。そして朝の近いことを考へたけれども、その車がなにをする車で、なんの為めに何処に行くのか、そんな事は少しもわからなかった。
 お葉は、その日も、また次の日も交換場で、この前言葉をかけた見しらぬ女に逢った。彼女は廊下の窓際に斜に置かれて、小雨のふる中に垂れ下った梧桐《きり》の葉の淋しさを眺めて居た。側には三十位の女が輸送車の上にあを向けにねて、自分の手の色をぢっと見てゐた。
 その時、交換場の中から、その女の輸送車が引き出された。その女は紫の着物を着て淡紅色《ときいろ》の袖口で顔をおほうて居たが、彼女の前に来て、ふっと驚いたやうに目を見開いた。そして優しくなつかしさうな瞳をしてお葉を見た。
『今日は、およろしくって?』
『えゝ。』彼女はまたあはてゝ、何も言ふ事が出来ずにうなづいて笑った。輸送車は、もう通りすぎてしまってた。お葉は、ベッドに戻ってからも、紫の着物を着てた女のことばかり考へられた。しかし病室は牢獄のやうに、一つ/\厚い壁にさへ切られて、隣の人さへわからない。
 彼女は、その女の美しい眼を考へた。美しい手を考へた。そしてその女は必ず幸福だらうと思った。そしてその女は物語のやうに美しい恋をしてる人だと考へて、なつかしくってならなかった。そして彼女は一日でも逢はないと心配でならなかった。丁度恋をしてるやうに物足らなくって淋しかった。そしてその時には
前へ 次へ
全18ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
素木 しづ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング