今にもその土を気持よくふむ事が出来るやうに思った。[#底本では行頭一文字下げていない、51−8]
やがて、その頃彼女の寝てゐる、彼女の窓の格子から遠くの方に、真赤な、真赤な花が一ぱにさいた。それが毎日日の照る日も、雨の降る日も、燃えるやうに彼女の眼に入った。
『何んの花。』彼女はいつも誰ともなく訊いた。けれども誰もそれに答へる人はなかった。彼女は、どうしてもその花が知りたかった。そしてあの花はなぜあんなに赤いのだらうと考へた。
『欲しい。』彼女はまた言った。
『落ちたのでもいゝから、たった一つでもいゝから――。』
『柘榴だらう。』誰かゞさう言った。そして、その花はだん/\青葉にかくれて行った。そしてお葉は、水色の幕を垂れた釣台にのって、朝夕にニコライの鐘が枕にひゞく病室に入れられた。途中、『母ちゃん、お葬式《とむらひ》が通るよ。』と赤い羅紗の靴をはいた子が、家の中に駈け込んだのを、お葉は幕間《まくあひ》から見てゐた。それは繁華な電車通りであった。
そこからこの釣台はまた煉瓦塀をまわって、この病室に入れられた。そしてもはやすべて、彼女の夢に見る世界は、一生近づく事なく隔ってるのだけれども――。
やがて、彼女は気づかはしさと、ある淡い喜びとを持って輸送車に運ばれて、繃帯交換に行った。そして方々の室から出て来た輸送車の患者が、控室の前にたくさんあつまった。
お葉は、まだ決して足を切断したのだとは思はなかった。手をいぢり顔をなでてすべての人と異る所のない完全なものだと思った。そして、あの中庭の芝生《しばふ》の上を自由に散歩する事も出来るし、愉快にあのベンチによる事も出来るんだと、庭の方を見て居た。そして、ふいと眼を横にやった時、窓際に置かれた輸送車の上の女が、なつかしさうに笑った。
『あなた、少しはよろしくって?』
お葉は、驚いて、やうやく、『えゝ。』と答へて赤くなった。何といっていゝかわからない。彼女の輸送車は、そのまゝ交換所に引き入れられた。あの人は、もう交換がすんだのか、すまないのか、どの部屋に帰ったのやらも解らない。
彼女は、その一日その女の人のことを考へた。そして重たい本を胸の上に開いて、彼女は五六頁を読んだ。
それから、彼女は夜中《よなか》にいく度となく目を覚ました。そして暁がすべての幸福を彼女に齎すやうに、只一秒も早く空の白むのを待った。けれども
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