てくれた嫁さんの事を、一番思出してたまらなくなつかしく悲しかったのだ。三人の子供を抱えて他《よそ》の家に厄介になった気苦労も、あのやさしい美しい嫁さんの為めに、忘れて仕舞ってた位であった。おかみさんは、いろ/\思出すごとに、断片的に楯井さんに聞くのであった。
『おなかさんは、あんないゝ人だに。山崎の亭主は、まるっきり家にいないからあんな事になったんだ。』
 と、おかみさんは山崎の亭主のことを、恨めしく思ったりした。楯井さんは、おかみ[#「おかみ」に傍点]さんがどんな事を云っても、外《ほか》のことを考えていた。そしてなんという事もなくお寺さんの話を、いつも思出しているのであった。楯井さんは急に、
『お寺さんの話では、おなか[#「おなか」に傍点]さんが殺された晩、ひどい音がして朝見ると、御堂の前に血がうん[#「うん」に傍点]と散らばっていたと云った。きっとおなか[#「おなか」に傍点]さんの知らせだろう。』
 と、非常に陰気な様子をして云った。けれどもおかみさんは、そんな話を少しも気にかけない。
『あのお寺さんの話しだもの。あてんならない、そんな事が今時世の中にあってたまるもんか。あんないゝおなか[#「おなか」に傍点]さんが、おばけ[#「おばけ」に傍点]になるなんてそんなわけはない。』
 と、なんでもないことのように云ってしまった。楯井さんは、それきり何にも云わなかった。
 それから丁度一週日[#「日」に「(ママ)」の注記]ばかり、毎日雨が降りつゞいた。楯井さんの家では別にかわったこともなく、毎日雨が降っても汗を流して開墾に勉めた。
 ある晩、ながい間降りつゞいていた雨が、夕方からカラッとやんで、なんとも云えない静かな雨上りの夜となった。楯井さんの家では麦を夜中《よじゅう》かゝって煮る為めに、大きな鍋が少しばかり突込んだ薪の火にかけてあった。火は勢なくトロ/\と燃えていた。三人の子供は、もう寐静まっている。楯井さんのおかみさんは、大きな湯沸《ゆわかし》に水をくもうと思って外に出ると、まもなく変な顔をして戻って来た。
『父《とっ》さん、あれはなんだろか。樹の株の上にいる光ったものは。』
 と、青い顔をして、後を振りかえり振りかえり小屋に入って来た。楯井さんは、黙って土間《にわ》にあった太い長い棒切を握って、そっと外に出て見た。井戸のすぐ側の太い樹の切株の上に、青い大きな光る珠がのっていた。
 おかしい、と楯井さんは口の中で云って、その側へ静かに歩みよると、首をのばして熟視した。火の玉は、玉の心まですきとおっているようで、また表面だけ光っているようでもある。楯井さんは、その太い長い棒で力まかせに叩きつけた。青い光りの玉は、何の音もせずに消えた。楯井さんはふと変な気がした。全く何の手ごたえもしない。そして心の底まで冷《ひや》っとするような気がすると、それと同時に楯井さんは、すぐ嫁さんの霊《たまし》だと思込んでしまった。
 小屋の入口の所で、この様子をみていた楯井さんのおかみさんは、楯井さんがこちらに向って歩いて来るのを見ながら、
『なんだろう、父《とっ》さん、あんな鳥がいるというが、鳥なら人が行けば逃げそうなもんだね。』
 と云いながら急に、
『父《とっ》さん、父《とっ》さん、また出た。また出た。』
 と叫んだ。楯井さんは急に後を振りかえると、今度は少しはなれた切株の上に、やはり前と同じ火の玉が青白く光っていた。楯井さんは、また静かに歩いて行くと、その切株の側まで行って、例の棒で叩きつけた。火の玉は、またはっと消え去った。
 楯井さんは、それを三度くりかえした。そして三度目からもうその火の玉は出なかった。
 楯井さんは小屋に入ってからも、別に驚いた様子も見えなかった。火の玉だけで気持を悪くしたのは、かえって楯井さんのおかみさんであった。しかし、おかみさんはすぐにそれを忘れてしまったように、床に入った。
 間もなく楯井さんも床に入ったが、彼は少しもねむれなかった。楯井さんの心では、慥かにあの火の玉は、無残に殺された山崎の人々のたましいに違いないと思った。最初の玉は嫁さんので、二度目の玉は老人ので、三番目が子守女のであろうと考えた。が、すぐに赤ん坊のも出れば四つ出なければならないと、神経質になりきって考え込んだ。しかし子供は、この世の中で何の罪も犯していないから、無事に極楽浄土へ往生したのだ――、自分だちは何の恨みもあの殺された人々にはないはずだが、しかし何の為めに、自分だちの家へこうして祟って来るのだろう。と、楯井さんは、殆ど夜のほの/″\と白みかゝる頃まで様々と考え悩んだ。楯井さんは、もう夜あけまで、少しもねむらなかった。そしてあたりが白み出して、すべての物がはっきり見え出すと床をぬけ出た、そして外に出た。
 空にはまだ暁の星が光っていた
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